オムニチャネルのお手本「八百屋さんのおもてなし」
ネットイヤーグループ社長 石黒不二代
「昔の八百屋さんがしていたことをやるべきですよ」。デジタルで顧客という個を知り顧客中心のサービスを実現しようという「オムニチャネル戦略」を推進していると、こんな時代回帰のような言葉がささやかれるようになってくる。

思い返してみれば、八百屋さんや魚屋さんは今で言うブランドである。彼らは私たちの家族構成を知っていて店先で「お兄ちゃん元気で学校行っている?」と声をかけてくれた。ときには「生きのいい魚が入ったよ」と商品の良さを伝えてくれる。私たちはそれをヒントに今晩の献立を考えたものだ。
大規模小売店や量販店が八百屋さんや魚屋さんに取って代わり、品数は増えて機動的なオペレーションもできるようなった。だが、ブランドと消費者の関係性は薄くなったのではないか。オムニチャネルで重要なポジションを占める地域の小売店が今この役割を担えているだろうか。八百屋さんや魚屋さんを再評価する声の背景にはこうした反省があると思う。
オムニチャネルになると接客の概念が変わる。来店時のみならず、来店前に消費者にどのような情報を提供できるのか、来店後に利用者がどのような情報を共有してくれるのかを考えなければならない。
オムニ以前の大規模小売店にも来店前の唯一の接客手段があった。チラシ広告だ。しかし、そこから思い起こされるのはディスカウントの嵐だ。価格訴求が唯一のマーケティングという考え方が利用者とのつながりを希薄にしてきた。
オムニチャネル時代の大規模小売店の接客は本部と個店の二層構造になるべきだ。本部の役割は在庫の一元管理、ポイントなどの顧客管理、複数店舗やウェブやコールセンターなど組織横断型サービス、ネットスーパーなどの電子商取引(EC)機能、本部発信のメールマガジンやアプリなどだ。これらは今でもある程度、実現されている。今後はより高い利便性・合理性・信頼性が要求されるだろう。
問題は個店だ。大規模化したものの、一人ひとりの消費者とのつながりがなくなってしまった。ライブ感やわくわくする楽しさ、心地よさ、親近感などを提供して地域の利用者との距離を一挙に縮める必要がある。
注目されるのが店頭販促(POP)のデジタル化、「デジタルPOP」だ。POPと言っても、店内に飾るためのものではない。利用者が自分の端末にダウンロードできるアプリケーションだ。地域のお客様を知っている(本来なら知っていなければならない)店長さんが今日の売りをアピールするものだ。
使い方は極めて簡単。店長は売り場の商品の写真をとる。最近のアプリケーションは、その写真と組み合わせた書体やレイアウトをさくさくと作ることができる。
ほんの数分で完成するデジタルPOPが毎朝、商圏内の利用者に届けられる。タイムセールスがあれば、夕方、スマートフォン(スマホ)の画面にお買い得情報が表示される。「新鮮!・今が旬!」のコピーが「なし」の写真と共に私のスマホに届く。「極上・北海道産生ズワイガニ」のコピーが写真とともに、お母さんのスマホに届く。
個店のオムニチャネルはもっとお客様を楽しませることだ。何を見せたらお客様は喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら個店を経営していたら、楽しいではないか。利用者の求めるものは安さだけではない。どのように仕入れたのか、だれがどのような思いを持って関わってきたのか。こうした物語を知りたいはずだ。
デジタルになったら八百屋さんのおもてなしができないなんて言い訳にすぎない。お客様が求める価値や気づきの提案。こんなことができる八百屋さんに戻ってみよう。
[日経産業新聞2015年11月26日付]