2018年7月21日(土)

経営のモデルチェンジに踏み出そう

2015/8/19付
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 企業経営の視点から戦後という時代を見渡すと、最初の半世紀弱とその後の20年あまりで明暗がくっきり分かれた70年間だった。

 前者の時代は日本企業と日本経済が目を見張るような成長を遂げ、造船をはじめ自動車や半導体で次々に生産量や建造量の世界一の座を獲得した。こうした個別産業の躍進にとどまらず、終身雇用に代表される日本的経営そのものが世界のお手本になった。

成功体験が足かせに

 ところが、いわゆるバブル景気が崩壊した1990年代前半を転機として、長い停滞の時代に突入した。よくいわれる「失われた20年」の幕開けである。

 なぜそうなったのか。要因はいろいろあるが、あえて一言でいえば、企業や経営者が過去の成功体験にとらわれて、変革に尻込みしたからだ。その結果、新興市場の興隆やデジタル技術の台頭という大きなうねりをとらえきれず、世界のライバルに後れをとった。

 だが、悲観ばかりしても仕方がない。幸い足元を見れば、日本企業を取り巻く環境は数年前に比べて大きく改善している。

 行き過ぎた円高など日本企業を苦しめた「6重苦」のかなりの部分は解消された。株式市場も活況を呈し、リスクマネーや成長資金の調達も容易になった。

 この追い風を生かして、日本企業は競争力を高めるときである。「失われた20年」の間にも景気が上向く局面は何度かあった。企業業績もそれに連動して良くなったが、残念ながら抜本的な問題解決にはつながらなかった。今回はそれを繰り返してはならない。

 まず重要なのは、事業の取捨選択だ。「事業の選択と集中」は過去20年にわたって繰り返し指摘された課題だが、今に至るも十分に実行されたとはいえない。

 例えば「沈む巨艦」といわれた日立製作所は見事復活したが、その原動力はテレビなど競争力を失った事業を切り離したことだ。

 日立の復活を主導した川村隆相談役は「命脈の尽きたゾンビ事業を社内に残しておくと、それが他の事業の勢いをそぎ、企業がまるごとゾンビ事業の集団に変わってしまう」という。

 反対に事業の取捨選択に消極的だったシャープは不振を続けている。傘下に複数の事業を抱える企業の経営者は自分の会社が日立型なのかシャープに近いのか、自問してほしい。

 再編統合の加速も残された課題である。狭い日本市場に多数の企業がひしめき合うようでは、世界への飛躍は望めない。米フォーチュン誌によると、2000年には世界の大企業500社に104社の日本企業が名を連ねたが、今年は54社にとどまり、ほぼ半減した。世界における日本企業の存在感が大きく縮んでしまったのだ。

 これを克服する一つの道筋が合併や買収によって、強力な企業をつくることだ。石油元売り大手の出光興産と昭和シェル石油が7月に経営統合することで基本合意した。これに続く再編集約の連鎖を期待したい。経営者はグローバル競争の厳しい現実を見据えて、勇気ある決断をすべきである。

企業は個性を磨け

 新しい価値を生み出すイノベーション力の強化も大切だ。京都は京セラや村田製作所、任天堂、タクシーのエムケイなど他とはひと味違う独自の技術やサービスで知られる企業が集まる。稲盛和夫京セラ名誉会長は「京都の企業人は他人と群れず我が道を行くというタイプの人間が多い。彼らのこだわりの強さが京都企業のユニークさの源泉」と指摘する。

 自らのこだわりをとことん追求することで新機軸が生まれ、それがブランドに昇華することもある。横並び競争に背を向けた京都企業の姿は大いに示唆に富む。

 米アップルは母国外で最大とされる研究開発拠点を横浜に建設中だ。この事実が示すように、今の日本にはイノベーションの元手である人や技術、産業集積の厚みは十分にある。あとは企業や経営者がそれをどう生かすかである。

 企業は足元の好業績に安住し、改革の手を緩めてはならない。上場企業全体の利益額でみれば、現状はリーマン・ショック前のピーク時の水準にようやく戻った程度にすぎない。「失われた20年」に終止符を打ち、現状を突き抜けてさらに飛躍するためには、絶え間ない経営革新が必要である。

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