2018年11月16日(金)

持たざる者 金原ひとみ著 日本の焦燥感 外からの視点で

2015/6/8付
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金原ひとみの小説といえば、過激でエキセントリックな内容であると思い込んでいる人がいるようだが、実は一貫して冷静かつ客観的な心理描写によってその小説は編まれている。容赦なくつまびらかにされる心理は、共感しすぎて胸苦しさを覚えたのち、人間が生きるということのおかしみを帯びてくる。

(集英社・1300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

(集英社・1300円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

本書は、今日が昨日の続きであることを信じて疑わなかった日本人に、そうではなかったことを思い知らしめた東日本大震災が軸になっている。震災は、それぞれの重さで心身にのしかかった。特に、原発事故による放射能汚染は、子育て中の家族に多大な影響をもたらしたが、主要な登場人物は皆、幼い子どもを抱えている(いた)。さらにもう一つの共通項目として、海外に在住する母親の視点がある。

実際にフランスで子どもを育てている著者が綴(つづ)る海外での子育ての日々は、リアルである。人と人との距離感、社会的なサービスの違い、民族や言語の違いに対する意識。海外生活者から今の日本を考えることで、この国の特殊性が浮き彫りになる。

たとえば、放射能汚染を避けるため、娘を連れてイギリスに移り住んだエリナは、「文化と伝統が重んじられ、日本に比べるとそこそこ世論が固まっていて、新しいもののない世界」で、過剰な社会サービスにあふれた東京での生活を振り返り、「今日本に帰ったら、私はあの国に巣くう焦燥感に体を端々から食われて消えてしまいそうな気がする」と考える。

焦燥感、という言葉から、震災直後の日本を思い出す。重苦しい空気の下、一人一人の焦燥感が刺激され、疑心暗鬼に陥っていた。四年が経過した今だから見えてくる当時の気持ちが興味深い。最初の語り手である修人が、放射能汚染から子どもを遠ざけることの意識の違いから妻と離婚するに至るのだが、目に見えない恐怖への感受性の差異であったともいえる。

修人と特別な関係を持つ千鶴は、エリナの姉である。過去の悲劇を抱えたまま、フランスを経てシンガポールでくらしている。そして、エリナとイギリスで出会う、日本に帰国することを切望していた朱里は、自宅を占拠していた義兄夫妻のニートぶりに悩まされる。朱里の、外側に現れる貞淑な主婦像と、激しい内面吐露とのギャップは衝撃的で、おかしくて、哀(かな)しい。

すべての人が自分に与えられた人生の課題に戸惑い、さまよいながらも、最もよい着地点を求めて模索する。「持たざる者」の目的語は何なのか、ずっと考えている。

(歌人 東 直子)

[日本経済新聞朝刊2015年6月7日付]

持たざる者

著者:金原 ひとみ
出版:集英社
価格:1,404円(税込み)

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