「宗一郎の夢」 ホンダジェットの開発現場に密着

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2015/4/24付
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 「ホンダジェット」が23日、初めて日本の空を飛ぶ姿を披露した。米国での納入開始も迫り、ホンダにとって1963年の四輪車参入以来の本格的な新規事業となる。ビジネスジェットとはいえ、機体や内装などあらゆるところで航空機の常識を覆す。根幹のエンジンを一体開発した秘話をひもとき、今後、ホンダが本領をどう発揮するかを占う。

3月9日。米ノースカロライナ州バーリントンで、ジェットエンジンを手掛けるホンダエアロ首脳と米連邦航空局(FAA)幹部が1枚の書類にサインし、固い握手を交わした。搭載エンジン「HF120」が「製造認定」を得て、出荷ができる。米国で23年ぶりのジェットエンジンメーカーが生まれた瞬間だ。

■航空業界に風穴

機体とエンジンの両方を手掛けるメーカーは世界初だ。リスクやコスト分散のため専業メーカーが分業する形が定着している。ホンダは開発初期からホンダジェット専用としない方針だった。競合の米セスナなどにもエンジンを売り込むしたたかさで、将来は半分程度を外販する考え。異色の新参者は航空機の産業構造に風穴を開ける。

航空機参入は創業者、本田宗一郎の夢だった。1917年、尋常小学校低学年の頃に学校をさぼり、親に内緒で自宅から20キロメートルほど離れた浜松練兵場へ飛行機を見に行った。夢は早くから芽生えていたのだ。

歩みは長かった。ホンダがジェットエンジンの土台となるガスタービン開発に着手したのは62年。その頃、宗一郎が当時の通商産業省に何度も怒鳴り込んでいた。四輪車参入を阻む動きに反旗を翻したわけだが、裏ではジェットエンジンを自動車の原動力に使えないかと考えていたのだ。

結局ジェット自動車は頓挫したが、ホンダは86年にジェット機とエンジンの開発を始める。研究員には家族にも内容を秘すよう徹底した。

「世の中にないモノを作る」という宗一郎の哲学を受け継ぐ研究陣は高い壁に挑む。むき出しのエンジン後部に設置するプロペラがそれぞれ逆向きに回る「二重反転式」を選択した。

開発は難航した。取締役専務執行役員の山本芳春は当時のメンバー。「1週間かけて作った試作機を回すとカチャンと音を立てて止まる。その繰り返しだった」。天井にプロペラが刺さり、テスト棟でエンジンが爆発したこともあった。山本らは技術報告会で粉々に砕けた試作機を提出する屈辱を味わった。

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