「若者」の時代 菊地史彦著 戦後を覆う「不機嫌」と無力感

2015/4/21付
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「不機嫌」の戦後史――本来ならば本書にぴったりなこの表題が用いられなかったのは、前著『「幸せ」の戦後史』との重複感を避けたかったのだろうか。それにもかかわらず、本書は一貫して、戦後の若者たちの「不機嫌」について追究している。

(トランスビュー・2400円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)

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著者は、日本の「戦後」は若者が真にイニシアティブを取った時代ではなく、常に富も決定権も「大人」側に保持され続けたと看破する。戦後は決して「若者の時代」ではなかったのだ。だから不機嫌と無力感は、この戦後を生きた若者層に通底する感情の構造となってきた。

「不機嫌」が、戦後の若者を通貫する感情だとしても、それが一挙に噴出したのは、やはり1960年安保の前後だ。そこで著者は、「60年」という歴史の端境期と17才という人生の端境期の交差点に注目し、この交差を生きた突出した個性に伏在する共通性を浮上させる。

社会党党首浅沼稲次郎を刺殺した右翼青年山口二矢。安保闘争の高揚を内面で深化させた干刈あがた。不機嫌を率直な言葉で表明し続けた加賀まりこ。ひたむきで清冽(せいれつ)なボクシングで観客を魅了したファイティング原田等々。普通ならとても結びつかない「1960年のセヴンティーン」の間に「不機嫌」の糸を通すことで、著者は「60年の不機嫌」が「偽モノ」への嫌悪の感情を共有していたことを突きとめる。本書の白眉である。

つまり「不機嫌」とは、けっして受動的な態度ではなく、むしろ従属的な位置に置かれた者がとる抵抗の戦略なのだ。だから高度成長期、集団就職で上京した若者が頻繁な離職・転職を重ねたのも、「こらえ性のない若年労働者の浮ついた行動」ではなく、割に合わない労働に失望した彼らの「ぎりぎりの反抗」だった。それらの反抗者の中から、歌手森進一も、殺人犯永山則夫も生まれていったのだ。

「不機嫌」をキーワードに時代と世代の交差に糸を通す本書の視点に頷きながら、70年代以降、この言葉の説明力が減少したように感じた。それは、「もとの不機嫌が含んでいた絶対的な無力感が薄まり、やや子どもっぽい、ないものねだりの表情が浮上」したことによるらしい。

2000年代、私たちは「不機嫌」ですらいられない時代を生きる。「格差」や「不安定」に人々は再び不機嫌だが、この不機嫌はかつてとは異なる様相を示す。増殖する時代の「不機嫌」は、もはや若者に限定されなくなっているのだ。若者論という以上に不機嫌論として、本書は戦後にうごめいた人々の群像を見すえている。

(東京大学教授 吉見 俊哉)

[日本経済新聞朝刊2015年4月19日付]

「若者」の時代

著者:菊地 史彦
出版:トランスビュー
価格:2,592円(税込み)

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