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「働きすぎ」の日本人、無価値な仕事が多すぎる

インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸

先日、3カ国の報道機関からインタビューの依頼があり、「ノー」と言えない私は容易に了承してカレンダーに予定を書き込んでしまいました。後からよく考えると3日間のうちに日本、米国、日本と行き来しなければならない予定は厳しい。一歩間違えると関係各所に多大な迷惑をかけるところだったと反省しました。

世界中に浸透している日本人のイメージに「働きすぎ」があります。たとえば現在私は、政府の教育再生実行会議に参加していますが、現場の教師の話を聞いてみると、本当に働きすぎの実態が明らかになり驚きました。部活動の指導で土日の出勤は当然で、生徒の下校後も残業しなければ仕事が終わらない。

何がそんなに忙しいのかと聞くと「事務作業が多い」という回答がほとんどでした。教師の本分は「教える」ことです。しかし「教える」以外のことで消耗しては本末転倒です。結果的に「教える」ことのクオリティーが下がってしまうのであれば優先順位を見直して、働き方を改めないと教育の再生と改革は果たせません。

教育の現場の問題を紹介しましたが、日本人の共通点に「busy work」に縛られている現状があるようです。「busy work」とは価値のない見せかけだけの仕事という意味です。

効率を重視するなら外注すべき事務作業、自動化すべき関数処理を手作業で計算するエクセル、さして読まれない会議資料を束ねる雑務、許容を超えた膨大な作業を徹夜や休日出勤で補う根性論――。こうした「busy work」は最終的にどこかの誰かにしわ寄せがいきます。

ムダ以上の害悪でしかないことは本人も周囲も理解しているのに、ただ惰性で継続しようという様式美には理不尽さを感じます。

斉藤ウィリアム浩幸

労働者一人ひとりの限られた時間や能力、情熱を、価値の小さいことに向けさせてそれで良しとする経営者や上司はリーダー失格です。個人が組織の慣習に逆らい、これを改革するのは容易ではありません。重要なのは、個人が自身の「busy work」を自己批判する以上に、仕事をお願いする側の人間が仕事を受ける側の人間を思いやることです。

「busy work」という足踏みが発生していないか。そして排除すべき「busy work」があればそれを取り除くことを想像する意識の有無がポイントです。ある日、年下のパートナーが打ち合わせの席に小走りで現れた時、不安を感じました。

私は起業家の先輩たちから「走ってはいけない」と教わって育ちました。その姿が相手に不安や焦りを感じさせるからです。続いて彼は、コンビニで買ったオニギリを取り出しました。私は「ランチを食べる時間もないほど忙しくするな」とも教わりました。

彼は「誰でもできる仕事」を「自分がやった方が早い」と判断して抱え込みすぎていました。その結果、イレギュラーがたったひとつ発生するだけでスケジュールが破綻するような、極めて崖っぷちの状態でした。このままでは本業がおろそかになるばかりか彼に仕事を発注している私も大きなトラブルに巻き込まれて共倒れの可能性があります。私はその後小一時間、ほかの何にも優先してスケジュールコーディネーションの重要性を説いたのでした。

(インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸〈ツイッターアカウント @whsaito〉)

[日経産業新聞2015年4月17日付]

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