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日本式の個人主義とは 困っている人を放置

インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸

日本人は「集団主義」の国民性である、という自己認識はどうも誤解のようです。米国の文化の中で育った人間からすると、組織より個人を優先させる傾向は、欧米人より日本人の方が強いと感じることがあります。

日本人の間に、「個人主義」という言葉が流行したと聞いて驚いたことがありました。その時の話の流れは確かこうです。「日本人の残業が多いのはなぜ?」と私が聞き、ある日本人は「上司や同僚の仕事が終わらない間は帰りにくい雰囲気がある」と答えました。私は重ねて聞きます。「じゃあ先に仕事を終えた人がまだ終わってない人を手伝えば良いのでは?」と。

その日本人は「自分の割り当てではない仕事を手伝う例はほとんどない」と言いました。なぜなら個人主義が浸透しているからで、しかもその個人主義の文化は「欧米にならって始まった」そうです。

私はいろいろおかしいぞ、と思いました。まず、欧米の職場には日本人が言うところの「個人主義」なんていうものは存在しません。成功している組織では、先に仕事を終えた人間は自然と同僚を手伝います。仕事の遅れには必ず原因があります。仕事の分配量に誤りがあるか想定外のトラブルが発生しているかです。当事者が解決できない問題であれば、周囲の人間が助けなければと考えるのが、チームワークを重視する欧米人の感覚なのでしょう。

どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます。本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念です。

特に米国は、多民族の国です。人種も違う。宗教も習慣も、思考回路も違う人が職場に集まれば、最初に待っているのは混乱です。しかし、だからこそ仲間に関心を持ち相互理解を深め、「他利」を「私利」に優先させなければ仕事にはならないのです。

対照的に日本人は互いの常識を「暗黙の了解」で共有できる極めて同質性の高い社会で生きてきた結果、コミュニケーション・コストを軽視してきた経緯があります。誤った解釈で輸入してしまった「個人主義」という言葉は隣の席で困っている同僚を助けることができないほどに個人を組織の中から孤立させてしまったのではないでしょうか。

一子相伝の技術を「目で盗み」、一人前になるまでに10~20年かかるのが当たり前だった時代は過ぎ去っています。グローバル社会を生き残るには「暗黙の了解」ではうかがい知れない様々の常識に耳を傾け、自らを改め続けなければなりません。日本式の個人主義はそんなとき、いかにも足かせになる概念です。

さて、世間は新年度。チームに異なる常識を持つ新人が参加してくる季節です。新しい仲間が何か相談してきたらどうしますか。「自分でやってみろ」と突き放したり、「俺はもっと大変だったぞ」と苦労自慢したりするだけの応対は、仲間のためになるのでしょうか。チームのためになるのでしょうか。私には、後進を育てる手間を嫌う、あるいは自らの職域を奪われることを避けるための利己的な応対に感じられてなりません。

(インテカー社長 斉藤ウィリアム浩幸〈ツイッターアカウント @whsaito〉)

[日経産業新聞2015年4月3日付]

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