春秋

2015/3/20付
保存
共有
印刷
その他

3分の1は獣。3分の1は機械。3分の1は堕天使。堕天使とは「天使であったが神に反逆して悪魔となったもの」(広辞苑)を指すキリスト教の言葉だが、獣で機械で悪魔、それが人間なのだ――。戦争直後の随想にそう書き記したのが、仏文学者の渡辺一夫である。

▼一方で、人間はいかに不完全で生臭い存在なのか、の自覚を忘れないこと。恐ろしい本性を克服する努力を諦めないこと。狂気、不寛容、暴力の発作が二度と起こらぬようにすること。それがまた人間の人間たるゆえんである、というのも渡辺の訴えだった。なんと甘っちょろいことを。何度そう毒づきかけたことだろう。

▼20年前のきょう起きた地下鉄サリン事件のときがそうだった。おとといのチュニジアのテロも、過激派「イスラム国」のこれまでの蛮行もそうだ。殺人にも、人が悪魔で機械で獣であると考えれば納得するような例が思い浮かぶ。その本性は力をもってねじ伏せねばならない、といえば分かりやすく、即効性もあるふうだ。

▼しかし、なぜ若者はオウムにひかれたのか、という同じ問いを、世界はいま、イスラム国に若者が蝟集(いしゅう)する姿に発する。「いかなる暴力行為にも美名を与えるだけの知恵(ヽヽ)も良心(ヽヽ)も持っている」。人間のそんな面を常に省みる以外に進歩はないと、渡辺は説いた。その声にもう一度耳を傾けている。迂遠(うえん)は承知のうえである。

保存
共有
印刷
その他

関連キーワード

電子版トップ



[PR]