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成瀬巳喜男 映画の面影 川本三郎著

心ゆたかな「貧乏」愛した作家

年配の日本映画ファンには成瀬巳喜男の作品がたまらなく好きだと言う人がよくいる。私もそうである。「おかあさん」「銀座化粧」「稲妻」「浮雲」「妻」「秋立ちぬ」などなど、昭和を生きた日本の普通の人たちの姿を、とくにサラリーマンや、路地裏住まいの庶民の暮らしを描くと、その日々の生活の味わいの濃さとなつかしさはしばしば小津安二郎以上だった。但(ただ)し小津が金持ちの暮らしのぜいたくさも華やかに描けたのに、成瀬はそっちは気が乗らないのか、凡庸な作品に終わりやすい。そのせいか、成瀬は小ぶりの小津のように見られがちだった。

川本三郎のこの本は、その成瀬の描いた昭和の日本人の貧乏というものが、実はどんなに愛すべき心のゆたかさをともなっていたかを、検討してみせる。

例えば成瀬作品では、男が女から金を借りる場面が繰り返し出てくること。「晩菊」ではそのストーリーの中心になっていたが、実は「銀座化粧」や「浮雲」「鰯雲(いわしぐも)」にもあることが指摘され、そして「成瀬は甲斐性(かいしょう)のない、弱い男に優しい。温かい。」と指摘される。

こういうところにこそ映画作家のものの見方が現れると教えられることが貴重である。

子供に金を渡して買いものにやるとき、「どっちの店がいくら安いよ」とつけ加えるのも成瀬がよくやっていたことで、貧乏ぐらしにほほえましさをそえていた。貧乏は貧乏人ならではのユーモアになった。著者はこれを貧乏ギャグと名づけて楽しそうに論じている。そして「ギャグに生活感がある」という。実はそれこそがリアリズムであり、成瀬の作中人物たちへの愛着の深さを示すものなのである。

成瀬についての論文は少なくないが、そこで「鰯雲」という作品が大きくとりあげられることはあまりない。川本三郎のこの本ではこれが大きくあつかわれている。一般にスター女優を中心にした映画は女性映画と呼ばれ、テーマは恋愛か家族愛かときまっていたので、淡島千景主演のこの映画で彼女が演じるのは実は農家の主婦であり、労働着のモンペで田畑を耕してまわるのに驚いた。以来この作品の評価もあいまいなままである。成瀬は昭和の女性の自立してゆく過程をよく描いた監督だから、その原点として農家の労働や経営まで描くのは自然である。ただ農家の主婦に美人スターを配役する習慣がそれまでの日本映画に非常に稀(ま)れだっただけで、こんなところからも日本映画は変ってゆけるのである。

(映画評論家 佐藤 忠男)

[日本経済新聞朝刊2015年2月15日付]

成瀬巳喜男 映画の面影 (新潮選書)

著者:川本 三郎
出版:新潮社
価格:1,296円(税込み)

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