囲碁の草大会、普及へ一石 海外から参加者も
三留喜代司

2015/1/28 3:30
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 一般の囲碁愛好家が集まる大会「榴石(りゅうせき)会囲碁まつり」を毎春開いてきた。今年開催すれば40回になる。前回は約400人が参加した。開催地は東京都足立区だが、国内各地や海外からも参加者が集まってくれる。一般人による「草大会」では国内有数の規模といわれ、多くの方に支えられて続けてこられた。

■級位者のクラス充実

草大会なので勝ち負けにかかわらず参加者が楽しめるように工夫をしてきた。最大の特徴は、段級位に応じて13クラスに分けていること。級位者のクラスを充実させているので、囲碁を覚えたてでも安心して参加できる。

有名な囲碁大会は腕自慢が出るうえ、級位者のクラス分けが少なく、初心者は出場をためらいがち。初心者が榴石会に出場し、いい緊張感のなかで対局することで、さらに囲碁が好きになる、ということも多いようだ。

大会は1回戦で負けても敗者復活がある。プロや囲碁インストラクターの指導碁もある。イベントも用意していて、その年の話題のプロ棋士たちを招いてプロ同士の記念対局をしてもらっている。隣ではベテラン棋士に大盤解説をしてもらい、軽妙な話術に会場が笑いに包まれることも多い。

榴石会という会名は、20世紀を代表する棋士のひとり、木谷実先生に賜ったものだ。私はもともと神奈川県平塚市の出身で、先生のお住まいに近かった。もちろん地元では超有名人。先生宅にいた内弟子は私と同じ中学校に通っていて、先生の三女の礼子さんは私と学年が一つ違い。近所の遊び仲間はなんとなく囲碁を覚えていった。

その後、私は理容師の修業のために東京に出る。東京の理容学校を卒業後はその学校の職員になって、囲碁好きの校長の相手を務めるようになった。副校長になったころ、当時は東京・高輪にあった日本棋院に行っていた。そこで棋士になっていた礼子さんに会い、四谷の木谷道場に誘っていただいた。

■木谷一門の棋士協力

出入りするうちに、先生の髪の手入れをするようになり、晩年に入院されると週2回はうかがっていた。そのころには私も碁の腕を上げ、近所の人を集めて自宅で教えていた。そこで木谷先生は自分の名前の「木」と、私の三留の「留」を組み合わせて、榴石会という名をその集まりに付けて下さったのだ。

榴石会では参加者が榴石道場と称して腕比べの大会に近いことをしていた。木谷門下で今は囲碁棋士六段の小川誠子さんが囲碁大会としての体裁を整えるよう勧めて下さり、その尽力で1976年に第1回大会を開催。慣れない準備で大変だったが、約120人が集まった。小川さんは昨年の第39回まですべてに参加し、大会を盛り上げて下さっている。

ほかにも多くの木谷一門の棋士の協力があった。一門の棋士が重要タイトルをほとんど総なめにしていた時期があり、多忙な現役タイトル保持者が榴石会の大会に参加して下さっていた。ふだんは雲の上の存在である人気棋士が登場すると、参加者は喜んでくれる。棋士の協力には感謝してもしきれない。

■地元高校で囲碁指南

とはいえ、長年の運営は気苦労も多かった。400人が参加するには、もちろん200セットの碁石と盤が必要になる。強いクラスは持ち時間制なので対局時計もいる。スタッフが協力してくれるが、運搬や会場に並べるだけでも大変だ。

使ううちに紛失や破損があるので、維持にも手間がかかる。ふだんの置き場にも悩まされた。自宅近くの工場の空きスペースに保管してもらっていたが、使えなくなって一時、自宅の台所の奥にしまったこともある。あまりの狭さに身動きが取れなくなって困った。

大会の運営を通じてさまざまな出会いがあり、人とのつながりが深まったことは、私にとって財産だ。4年前には東京23区対抗囲碁大会が始まり、発足時には主催団体の会長を務めさせてもらった。地元の高校では市民講師として囲碁を教えてきた。若い感性に触れられるので刺激になる。

数年前には大会直前に入院し、開催が危ぶまれたこともあった。70歳代も後半になると体力の衰えを実感する。これまでのような規模で続けていく自信はないが、今後も囲碁が少しでも広がるように努力していきたい。

(みとめ・きよし=榴石会会主)

2015年1月28日付日本経済新聞朝刊

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