春秋

2015/1/11付
保存
共有
印刷
その他

ビール競争の歴史は古い。明治に入るや輸入品が広がり始め、横浜には外国人が相次ぎ醸造所を設けた。後にサッポロビールになる「開拓使麦酒醸造所」も参戦する。札幌にできた官営工場だ。「ぷはっとうまい 日本のビール面白ヒストリー」(端田晶著)に詳しい。

▼官営工場の売りは中川清兵衛という技師が本場ドイツで学んだ醸造技術だった。低温でじっくり発酵、熟成させ、「冷製麦酒」と銘打つ。効能書きも工夫するよう北海道開拓使長官、黒田清隆から指示があり、「胃を健やかにする」とうたった。本当は食欲増進くらいだそうだが商品の価値を上げたい一心だったのだろう。

▼意外なのは、技術に通じていた外国人経営の醸造所が成功しなかったことだ。米国人が創業した酒造場とドイツ人が興した醸造所は500メートルも離れていなかったため、互いに対抗意識を強め、安売り合戦に突入する。共倒れを防ぐため合併したが、仲たがいし最終的に倒産に至った。価格競争が不幸な結末の始まりだった。

▼ビール大手4社の今年の事業計画では、どこも独自製法や高品質原料の製品に力を入れる。高級ビールの競争は激しさを増す。問題は値段の戦いに陥らずに済むかどうかだ。日本のビールの歴史を振り返れば、技術を安売りしないことは草創期からの課題だった。各社の知恵やいかに。デフレから抜け出るためにも注目だ。

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]