岐阜「栗きんとん」甘くない内実
県産栗 復権へ品質磨く
秋の代表的な味覚の「栗きんとん」。岐阜県東濃地方の特産で、栗に砂糖を加えて炊き上げ、布巾で絞る。シンプルながら上品な甘み、ほくほくとした食感で、賞味期限が2~4日と短いことも、季節感のある和菓子として人気を集める。

恵那山の麓に広がり、旧中山道の宿場町として栄えた中津川市。現在、約30の和菓子店が栗きんとんを製造し、「川上屋」「すや」など東京、大阪、名古屋の百貨店で販売する店もある。JR中津川駅前には「栗きんとん発祥の地」の石碑が立ち、毎年9月9日に栗節句の神事を営む。
中津川観光協会の「にぎわい特産館」は、市内15店の栗きんとんを1個220円からばら売りしている。鈴木とも子店長(66)は「栗きんとんは栗と砂糖だけを使う究極の生菓子。栗あん、栗粒など各店の味の違いを楽しんで」と話す。
中津川市の川上屋本店。工場に入ると、温かくふわっとした甘い栗の香りに包まれる。蒸して裏ごしした栗を従業員が手際良く栗きんとんに仕上げていく。30グラム弱の栗を布巾に乗せ、てるてる坊主を作るように絞ってしわ模様を作り、親指で押さえて形を整える。
8月下旬から12月まで、ピーク時には1日3万個製造する。年間約100トンの栗を市場から仕入れ、加工・冷凍・解凍をして生産する。原善一郎社長(70)は「栗きんとんはほくほく感が大事。栗は果肉が粉質の熊本、宮崎産を使う」と言う。中津川では県産栗はほとんど使われていないのだ。

もうひとつ、発祥の地を名乗る八百津町を訪れた。「元祖 栗金飩(きんとん)」の看板が立つ緑屋老舗。明治末期に3代目の白木鍵次郎が初めて作ったという。5代目の白木功一さん(72)は「当時は栗金飩ではなく、栗金糖と呼んでいたようだ」と語る。
店の奥の工場には、ひときわ香ばしい栗の香りが漂う。栗あんをじか火で焦げ目が付きそうなほどじっくり炊き上げる。栗は地元農家から年間20トン余り仕入れ、100%県産栗で賄う。9月から翌年4月まで販売するが、生産量は最盛期でも1日8千個。6代目の恭之さん(42)は「規模拡大はせず、新鮮な地元の栗にこだわりたい」と話す。
岐阜県の栗の出荷量は昨年、全国4位の763トンで国内の5%にすぎない。東濃地方でほぼ地産地消されてきた栗きんとんが全国に広まったのは、流通網や保冷技術が発達した1970年代以降だ。県産栗だけでは需要に追いつかず、九州産の栗が大量に流れ込み、量がそろわない県産栗はかえって敬遠されてきた。

10月初め、中津川市千旦林の栗農家、土屋厚子さん(61)を訪ねた。約50アールの畑の栗の木は、すべて3メートル前後の高さに抑えられている。ぱっくり割れたイガの中に大粒の栗が顔をのぞかせている。
岐阜県で開発された「超低樹高栽培」だ。樹高を低くして枝を横に広げることで、日当たりが良くなって果実が大きく実り、手入れも行き届く。土屋さんは「枝の剪定(せんてい)など手間はかかりますが、狭い畑でも収穫量が上がるようになりました」と話す。
土屋さんは中津川、恵那両市の栗農家でつくる東美濃栗振興協議会の超特選栗部会のメンバー。超低樹高栽培や農薬・肥料などの栽培基準をクリアした農家が認定され、約70戸が加入している。出荷の際にも農家同士が厳しい選果をして、高い品質を守っている。

この栗の納入先が恵那市の菓子店、恵那川上屋だ。同社は94年から農家との契約栽培を始め、「超特選恵那栗」のブランドを確立。高い品質を求める代わりに市場より高値で全量を買い取り、農家の収入安定と生産意欲向上を図ってきた。
今では契約農家の栗は100トンを超え、年間需要150トンの3分の2を賄えるようになった。鎌田真悟社長(51)は「栗きんとん人気で今、もうかるのは菓子屋だけ。農家も潤う仕組みを作りたい」と言う。
県内の栗農家も高齢化が進む。恵那川上屋は廃業農家の農地を借りて、自社栽培も拡大している。鎌田社長は「岐阜県は全国のどの産地より、栗きんとん向けの栗を作る土壌、蓄積がある。何とか栗の里を再興させたい」と力を込めた。
「桃栗三年、柿八年…」のことわざがあるように、栗は苗から数えて3年で結実し、4年目以降においしい実が採れる。栗には早生(わせ)の「丹沢」「胞衣(えな)」、中生(ちゅうせ)の「筑波」「利平」、晩生(ばんせ)の「石鎚」などの品種があり、山の名前が付けられることが多い。
岐阜県中山間農業研究所は今年、栗きんとん用の新品種を開発した。8月下旬から収穫できる「えな宝来」、早生と中生の端境期の9月中旬に採れる「えな宝月」の2品種で、県産栗の安定供給を目指す。
(岐阜支局長 杉野耕一)
[日本経済新聞夕刊2014年11月4日付]