タレント副島淳さん 波らん万丈、番組で父の消息知る

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントの副島淳さんだ。
――実の父親を知らずに育ったそうですね。
「生まれたときは母、祖母との3人暮らしでした。その後、母が再婚し父ができたことがうれしかった。でも、あるとき義父がひょう変し、お酒を飲んで母や自分に暴力をふるうようになりました。義父の祖母が私たちを引き取ってくれました」
――転校先の小学校でいじめに遭われたとか。
「小学4年生のときです。見た目が一番大きかったと思います。同級生から仲間外れにされた怒りを『なぜ生んだんだ』などと母にぶつけました。日本人の母も自分の悩みを理解してくれないのだと思い込んでいました」
「母は『みんなはスポーツなどで1等賞を取らないと注目されないけれど、おまえは立っているだけで注目される。特別だからきっといいことがある』と言いました。でも、当時は母の気持ちがわからず、憎悪すら覚えました」
――中学生で始めたバスケットボールが大きな転機に。
「いじめっ子たちがサッカー部に入ったのを見て、バスケ部を選びました。仲間たちと話すことで、意地悪な言葉にも冗談で返せるようになりました。お調子者との評判が立ち、いじめっ子も『副島って面白いじゃん』と態度が変わりました」
「先生の熱心な指導のおかげで、チームは千葉県の選抜になりました。母に金銭的な負担をかけたくなかったので中学を卒業したら働くつもりでしたが、スポーツ推薦で高校、大学と進学できました」
――お母様は芸能界入りに賛成でしたか。
「母は『自分の好きなことをやればいい』という考えでした。デビュー時は芸能界で一旗揚げようという野心はなく、アルバイトをしながらやっていました。いつかやめようと思っていたところ、舞台出演を機に道が開けました」
「頻繁に連絡を取る間柄ではありませんが、NHKの情報番組『あさイチ』に出演したときは『調子に乗るなよ』と言われました。テレビが生存確認になっているようで、出演が減ると『死んだの?』とメッセージが届きます」
――テレビ番組で実のお父様がわかりました。
「会いたいと思ったことも、母から聞いたこともありませんでした。ところが番組の調査で、母が生後数カ月の自分を父に会わせたと知りました。日本の芸能界で活動し、既に他界していたと」
「異母兄がバスケットボール選手の高橋マイケルさんとわかりました。学生時代に憧れていたスター選手で、信じられない思いでした。マイケルさんは父と暮らしていて、一緒に写っている幼少期の写真を見せてもらったら羨ましさがこみ上げました。いじめられていたとき、父ならどんな言葉をかけてくれたのかな、と思います」
(聞き手は生活情報部 高橋里奈)
[日本経済新聞夕刊2021年3月2日付]
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