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島正博(2)和歌山大空襲

間一髪 間近に焼夷弾 出征で散った父 5年間の記憶

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山林王国の和歌山では明治初期から建具の製造が盛んになり、昭和の初めには市内に10軒ほどの建具屋があった。そのうちの1軒が生家である。祖父・福松が創業し、父・武夫は2代目。1937年3月10日、私は武夫と母・二三四(ふみよ)の長男として生まれた。

祖父と祖母・種代は再婚同士で父は祖父の、母は祖母の連れ子だった。義理の兄妹が長じて夫婦になったわけだ。私の生後間もなく父は最初の召集を受け、その時は半年で...

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島正博

繊維機械メーカー、島精機製作所会長の島正博さんの異名は「紀州の発明王」です。スクーターを三輪スポーツカーに改造するなど、高校時代にはすでに街の有名人でした。起業当初は悪戦苦闘しましたが、全自動無縫製手袋編み機の開発によってアパレル市場で名をはせ、いまや世界の名だたるブランドが同社製編み機を採用しています。常識に挑み続けた島さんの、波瀾(はらん)万丈の物語です。

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