医師・タレント丸田佳奈さん 厳しい母が努力を後押し

著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回は医師・タレントの丸田佳奈さんだ。
――どんなご両親ですか。
「父は1級建築士の資格を持ち、北海道網走市で家業の建設業を営んでいます。日付が変わるころに帰宅するほど忙しく、幼いときは父と平日に顔を合わせた記憶がほとんどありません」
「でも、まとまった休みには、家族で旅行もしました。東京ディズニーランドに出かけたり、車中でサザンオールスターズの曲を流しながら夜のオホーツク海へ遊びに行ったりしていました」
「北見市出身の母は不在がちな父の分まで全力投球の子育てをしてくれました。習いごとや進路は子どもたち自身で決めましたが、一度始めたら最後まで徹底的にやるよう引っ張られましたね」
「例えば幼稚園のときに始めたピアノ。毎日の練習はサボれませんでした。私自身は大学受験でやめましたが、妹は道がひらけ東京の音楽大学に進みました。通っていた公文でも先生の補助をするほど、子どもの頑張りに目を配る母でした。『怖かったね』といまだに妹たちと振り返りますが、才能の上限まで力を発揮できるよう、とことんお尻をたたいてくれました」
――医師を目指したのはなぜですか。
「小学生のころ、母が『女性もこれからは1人で身を立てる手段を持つべきで、勉強は選択肢の幅を広げてくれる』と教えてくれました。テレビドラマで見た医師への憧れもあり、自然と考えるようになっていました」
「中学生のとき摂食障害を患いました。半年で体重が14キログラムも減り生理が止まってしまい、産婦人科に通ううちに進路が決まりました」
「医師を目指しやすい進学校に通うため、高校入学と同時に母方の祖父母宅に身を寄せました。とはいえ、入学当初は週末には必ず帰省しました。授業の終わる時間に母が車で迎えに来てくれ、精神的に助けられました」
――大学進学を機に上京しました。
「2浪して医学部に入ったものの、卒業するのも大変でした。ミス日本に選ばれたころまでは部活も勉強もテレビなどの仕事も順調に回っていたのですが、ある時期から勉強がわからなくなったり壁にぶつかったりすることが増え、心が折れました。医師の夢を諦めたくないのに1日中家で寝ている、矛盾した日々を過ごしていました。その間も両親は離れていても、『自分で決めるしかないよ』と鼓舞してくれました」
「留年と休学を1年ずつ経て、国家試験に合格したとき、父は涙声で祝ってくれました。母は私がテレビに出演するのをよく思っていないようで、今でも厳しいコメントがメールで届きます。私自身も母親になり、母がパワフルに子育てしてくれていたか痛感しました。自分にはまねできないですね」
(聞き手は生活情報部 田中早紀)
[日本経済新聞夕刊2021年1月26日付]
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