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建築家ゆかりの地(4) 広島と丹下健三「広島平和記念資料館」

建築史家 松隈洋

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敗戦から1年が経(た)った1946年夏、戦災復興院からの委託を受けた復興計画の調査のため、当時33歳の東京大学助教授だった丹下健三は、自ら志願して被爆地広島へ入った。なぜなら、旧制の広島高校に学んだ彼は、原爆により多くの旧友を失い、郷里の今治で暮らす母を空爆で亡くすなど、生き残った者としての戦後復興への強い使命感を抱いていたからだ。そして、この時、後に「原爆ドーム」と呼ばれる広島県産業奨励館(15...

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