福川伸次(26)内需拡大
大蔵省を説得 対策6兆円 4極大臣会合 WTOの呼び水に
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日本にとって国内需要の振興が長年の課題だった。中曽根康弘首相は87年6月の先進国首脳会議(ベネチア・サミット)を控えて大号令をかけた。5月29日に内需拡大策をなんとかまとめた。
当時は真水論争といわれる議論があった。日本が経済対策を発表しても海外から「綿菓子みたい」と批判された。見せかけの大きさではなく「真水」、すなわち実際の財政支出が大事だという指摘だ。
田村元・通産大臣は大蔵省の西垣昭主計局長...
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元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。