福川伸次(21)在任554日
大平氏 夜中に容体急変 「首相の死」記者団に公表
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大平正芳首相の入院生活が始まった。秘書官である我々は毎日、病院に詰めた。一部の有力政治家を除いて面会も謝絶。担当医が定期的に記者会見を開いた。
病状はかなり回復した。記者は確かめたがって「一回、お見舞いをさせてほしい」と申し入れがあった。医者の許可をとって代表取材を短時間認めた。写真も撮って報道された。
1980年6月の先進国首脳会議(ベネチア・サミット)に出席するかが問題であった。もし行くとすれ...
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元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。