福川伸次(19)海外と連携
大平首相、中国で大歓迎 五輪不参加「せつない」と漏らす
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1979年12月5日から大平正芳首相が訪中し、私も同行した。日中国交正常化時の外相だったので、「昔の井戸を掘った人」として大歓迎された。当時は鄧小平氏が最高実力者として改革開放政策に転じていた。毛沢東、周恩来が相次いで亡くなり、中国がどこに向かうのかに我々は強い関心があった。
初対面の華国鋒首相とは2度にわたり会談した。日本は中国の近代化を支援する立場から第1次円借款の供与を表明した。この機会にパ...
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元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。