山を目指し川を下る
SmartTimes WAmazing代表取締役社長CEO 加藤史子氏
10月の小雨降る肌寒い土曜の朝、私は出身高校である県立横須賀高校の体育館にいた。換気のため窓が開け放たれた体育館に約300人の高校生が距離を取りながら集合した。卒業生が母校を訪れて講演するイベント「未来ナビ」が始まった。

高校生でもなるべく身近なテーマとして感じてもらえるよう、観光と地域活性を横須賀市に当てはめてスピーチした。新規事業や会社経営のことなども語った小一時間。最後は事前にもらっていた質問からいくつか選んで回答する時間となった。
「加藤さんは、高校生の時、何を目指してどんな努力をしていましたか」。高校生らしい質問に「特に何がやりたいか決まっていなかったし、決められる気もしていなかった」と回答した。そのとき、寒そうに縮こまっていた体育館の空気がふっと動いた、そんな気がした。
後日送られてきた生徒たちからの感想アンケートには、「何がやりたいか、何になりたいか、別に決まってなくても大丈夫だという言葉に、ものすごく安心しました」「進路を考えて何も決められず焦っていたので心底ほっとしました」という素直な心情が多く綴られていた。
実はあの時の回答は昔の上司の言葉の受け売りだった。「いいんだよ。川下り型のキャリアと山登り型のキャリアがあるんだから」。前職のリクルート時代、上司との面談で言われた言葉だ。「川下り型のキャリア」とは、川を目の前にしてその状況に対応しながら下っていくとやがては大海に出るように、目の前の仕事に懸命に対峙することでいずれは道が開けることを指す。「山登り型のキャリア」とは、自分の目指すキャリアビジョンを明確に描き、そこに向かって一歩一歩近づいていくことを意味する。
将来のキャリアビジョンを問われ返答に窮した私に、「明確に目指す山の頂上がなかったとしても、それも間違いではない」と上司は語った。当時、私は初めての育児と仕事との両立に精一杯。日々の生活を工夫しながら何とか出産前と同じく成果を上げたいと必死だった。まさに急流の川下りだ。次々と出てくる小さな滝や岩を避けて、巧みによいコースを取ることだけに専念していた。遠く高い山の頂を見上げることはなかった。
しかし、やがて「観光による地域活性」という登りたい山の頂を見つけ、約10年後、WAmazingを起業した。多くの人と資金を巻き込んででも登りたい頂はそのときはっきりと見えていた。2020年は大変な1年となったが今もその頂を見据えている。
いつか登りたい頂が見つかるもよし、いつか大海に辿り着くのもよし。コロナ禍で誰もわからない未来に不安を抱く高校生に私はそう伝えたい。
[日経産業新聞2020年12月18日付]
