福川伸次(3)中国旅行
北京で見た日本兵の蛮行 衝撃の記憶 反省の思い今も
[有料会員限定]
私の出生地は東京で届け出ているが、実際は1932年(昭和7年)3月8日に静岡県周智郡森町で生まれた。生家は太田川のほとり、秋葉神社に通じる道すがらにあった。お茶の産地で、森の石松が出たことで知られる。
生まれは申(さる)年だ。人間なのでニンベンを付け、次男だから「伸次」と名付けたと母に聞いた。昔は適当なものだ。
父・福川篤四郎と母・まきは東京生まれで、夫婦養子として静岡の家を継いだ。父は鉄道省に勤...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り1095文字

元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。