小宮山宏(3)スポーツ少年
高校でラグビー部に入部 きつい練習、試合に挫折し退部
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運動がとても好きな少年だった。
小学校は目黒区立菅刈(すげかり)小学校で家から1キロほどの距離、国道246号を越え、山手通りをつっきり少し行ったところにあった。放課後はクラスの友達と毎日のように野球をしていた。昭和20、30年代の男の子の遊びの王道である。3年生の誕生日に両親から初めてグローブを買ってもらった。
クラス対抗ではピッチャーをやりたかったが、サードだった。どうしても水野君にはかなわなか...
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三菱総合研究所理事長の小宮山宏さんは2005年から4年間、東大総長を務めました。学問の世界に閉じこもることなく、専門の工学を社会の課題解決に生かそうと奮闘してきた行動派の学者です、化学、医工連携、そして地球環境問題と学際的な探究を続け、大胆な東大改革にも取り組みました。果敢な挑戦を続けたその歩みをたどります。