小野寺正(11)鹿ケ谷の会合
稲盛さんが電話事業宣言 「現代版 打倒平家」加わる決意
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連載初回でも書いたように人生の転機が訪れたのは1983年11月、京都での会合だ。電電公社の先輩の千本倖生(せんもとさちお)さんに誘われ、京セラの迎賓館である「和輪庵(わりんあん)」という日本家屋で開かれた会合で、京セラ創業者の稲盛和夫さんや元通産省資源エネルギー庁長官で後に第二電電(DDI)の初代社長になる森山信吾さんに初めてお会いした。
会合には片岡増美、河西壮二、橘薫各氏ら公社の若手技術者の顔もあり...
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KDDI相談役の小野寺正さんは東北大学工学部出身のエンジニアで、30代半ばまでは日本電信電話公社(現NTT)でキャリアを重ねました。1980年代半ばに京セラ創業者の稲盛和夫さんに誘われて、第二電電(現KDDI)の旗揚げに参画し、大きく人生が変わりました。通信市場の巨人であるNTTに対抗しようと、90年代後半に通信業界の再編は一気に動き出します。