生物多様性、原料調達も配慮 名古屋会議10年 変わる企業意識
Earth新潮流
2010年10月に名古屋市で開かれた国連の生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)から10年になる。この会議は、日本企業の生物多様性への認識を変える転機になった。自社の事業だけでなく、サプライチェーン(原材料の供給網)が生態系に及ぼす影響を考慮するなど持続可能性への意識が強まっている。

COP10には約180の国・地域や機関の代表が参加し、会期は12日間に及んだ。10年先をゴールにした愛知目標や遺伝資源の利益配分ルールを定めた名古屋議定書などを採択し、成果の多い会議だった。当時、会場で取材していて、終盤の高揚感をよく覚えている。
当時の底流として見逃せないのが、生態系が持つ経済的価値の認識が高まっていたことだ。ドイツが主唱した「生態系と生物多様性の経済学」プロジェクトが07年に始まり、それまで曖昧だった経済的な価値を「生態系サービス」と名付けて概念の整理が進んだ。これが機運となり、生物多様性に対する企業の関心も強まった。
生態系サービスは(1)自然が食料や水、原材料などを提供する供給サービス(2)森林が二酸化炭素を吸収したり、干潟が水を浄化したりする調整サービス(3)環境が多くの生物種を育む生息・生育地サービス(4)レクリエーションや教育の場になる文化的サービス――に分類される。生態系を「自然資本」とみる、今の考え方のベースにもなった。
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COP10で採択された愛知目標は20の個別目標からなる。なかでも「政府、ビジネスなどあらゆる関係者が持続可能な生産・消費のために行動し、計画を実施する」との目標は、産業界への明確なメッセージになった。

これに前後して日本国内でも、環境省が企業の多様性保全の具体例を示したガイドラインを公表。経済団体、NPO、政府・自治体が加わる連携組織も発足して、官民の足並みもそろった。
それから10年たち、企業の意識は変わったのか。経団連が19年秋、約1800社を対象に実施したアンケート調査によると、生物多様性を守る意識は大企業ではほぼ浸透したといってよい。
経営理念や環境方針などに生物多様性保全を盛り込んでいる企業は75%と、09年度の39%からほぼ倍増した。「持続可能な社会の実現」や「自然保護」を経営方針に掲げる企業はそれぞれ86%、84%なので、生物多様性はそれらに匹敵する重さを持ってきたといえる。
一方、多様性保全で具体的な目標を設定し、達成状況をチェックする取り組みは道半ばといえる。「多様性に配慮する」といった定性的な目標を定めたり検討したりしている企業は約7割まで増えた。だが数値目標を定め、客観的な指標で達成を評価している企業は半数強にとどまる。
そうした中で注目されるのは、原材料調達などが生態系に悪影響を及ぼしていないか、サプライチェーンを含めて広くチェックする取り組みだ。
代表例は、東南アジアで生産されるパーム油やアフリカ産カカオ豆を巡る取り組みだ。パーム油をとるアブラヤシは森林や泥炭地を開発して栽培することが多く、特に単一栽培で環境破壊につながりやすい。カカオ豆の生産も児童らを労働力にしているとしてNPOなどが問題視している。
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味の素は「持続可能な原材料調達」を掲げ、加工食品や化成品向けパーム油やアミノ酸の発酵生産に使う糖質系農産物などについて、サプライチェーンを追跡。生態系への負荷が小さい原材料の使用率を高める数値目標を定めている。パーム油は18年度で25%だったが、20年度までに100%に高める目標だ。
ブリヂストンも50年を見据えた長期目標として「生物多様性ノーネットロス」や「100%サステナブルマテリアル化」を掲げる。主力のタイヤ生産の原材料である天然ゴムや亜鉛、鉄などの鉱物、エネルギーなどを持続可能な資源に置き換え、生態系への影響を最小限に抑えるのが目標だ。
一方で、COP10のもうひとつの成果である名古屋議定書に関しては、企業の認識や具体的な取り組みが遅れ気味だ。
議定書は先進国の企業が途上国の遺伝資源を利用して医薬品などを開発した場合に、利益の配分ルールを定めた。14年に発効したのだが、日本は国内の指針づくりなどに手間取り、17年にようやく批准した。
これが影響してか、経団連の調査でも「利益の公正・衡平な配分」を経営指針に取り入れた企業は2割弱にとどまる。議定書に直接関係するのが医薬・化粧品や食品など特定業種にとどまるのも一因だが、利益配分は輸入ビジネスに共通する原則であるだけに環境省や経済産業省は周知に力を入れている。
今後、日本企業に求められるのは何か。
地球温暖化防止や海洋汚染の原因になるプラスチックの削減は国際的に急務だ。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」も食糧不足や貧困、格差の解消など幅広い。産業界にはこれらに目配りした「環境統合型経営」が求められるが、「どこから取り組めばよいのか」と戸惑う企業も多い。
生物多様性保全に対応してきた日本企業の経験はヒントになる。多様性保全もかつては本業と無関係の植林などにボランティアで取り組む企業が多く、企業の社会的責任(CSR)の文脈で語られていた。それが今は本業と直結する事業に的を絞り、持続可能性を追求する姿勢に変わった。
その経験をSDGsにも生かして、本業の持続性向上と目標への貢献を両立できるかどうか。次の10年の課題だ。
(編集委員 久保田啓介)
[日経産業新聞2020年8月7日付]