杉本博司(16)南画廊
急きょ決まった初の個展 志水楠男氏を説得、作品売れる
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1977年1月、長男の慧が生まれた。名前は禅宗の開祖達磨(だるま)の弟子、慧可の慧から取った。真理探究ができるようにとの親の過剰な期待が込められていた。その年、申請中だったアメリカ永住権が認められ、東京のアメリカ大使館で、書類一式を受け取る必要があった。私は5年ぶりに、妻と初孫の顔を両親に見せるためもあって帰国した。
ひさしぶりに帰った日本は変貌していた。日本が変わったのではなく私が変わっていたの...
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大判カメラで撮影したモノクロ写真で知られる杉本博司さんは、国際的に高く評価されている現代美術作家です。大学卒業後にニューヨークで革新的な芸術の息吹に触れるや、抜群の度胸と才能でアートシーンの寵児(ちょうじ)となりました。大胆な行動力と芸術に対する深い愛で切り開いていった人生をたどります。