春秋

2020/6/20付
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横山秀夫さんのミステリー「64(ロクヨン)」は、誘拐犯の「声」に迫る物語である。ある地方都市で起きた、迷宮入りの事件。被害者の父親は無念を晴らそうと、電話帳に載るおびただしい数の番号ひとつひとつに無言電話をかけ続ける。そして十数年、ついに――。

▼小説の背景は、昭和の末年から平成前半にかけてである。振り返れば、そのころまでは固定電話をよく使ったし、どこの家にも分厚い「五十音順」と「職業別」が備わっていた。あれをしばしば繰ったものだ。氏名や住所とともに掲載された個人の電話番号は、ピークの1990年度には全世帯の6割に達していたという。

▼NTT東日本と西日本は、この「ハローページ」の発行を順次終了するそうだ。明治の半ばに「電話加入者人名表」として登場して以来の歴史に幕となるが、そういう当方だって近年すっかりご無沙汰だった。携帯の普及に加え、プライバシー意識が高まって発行部数も激減していたと聞く。止められぬ時代の流れである。

▼スマホ全盛の現在が舞台では、とても「64」のような話は成り立たない。このドラマは、人々が社会に名前をさらけだしていたころの素朴さを感じさせもするのだ。あっという間に、世の中はずいぶん用心深くなった。なのに、どういうわけだろう。デジタル空間では、たくさんの匿名の「声」が、悪意を振りまいている。

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