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岸惠子(8)女優デビュー

「大変な世界」ほぞをかむ 女学生の役、現場で笑われ

「研究生という名目で門もステージもフリーパスにするので遊びに来てください」

高峰秀子さんらと共演した「我が家は楽し」(1951年、中村登監督)=松竹提供

松竹の大船撮影所の高村潔所長に言われたのは撮影所を見学して間もないことだった。学校の授業やバレエ、茶道、華道の稽古などに忙しかったが、私は同級生の田中敦子さんと映画撮影というものをたまに見に行った。

高3の春休み、私たちは後に監督になる野村芳太郎さんに請われて教育映画「アメリカ博覧会の一日」に女学生役で出演した。その体験に強い刺激を受けた私は「梯子段(はしごだん)」という短編小説を書いた。

いとこの夫に若槻繁という人がいた。「人間の條件」「怪談」など傑作映画を世に送り出す大プロデューサーになるが、この時は川端康成先生のまな弟子で、雑誌「ひまわり」の編集局長をしていた。

私の小説を読んだ若槻さんが「惠子ちゃんは女優よりも作家になったほうがいい」と言い出し、川端先生の定宿だった東京・四谷の料亭旅館、福田家に私を連れて行った。

私は身分違いの雰囲気におののき、湖のように深い大作家の目に見つめられて手から桜茶を落とした。畳にこぼれた桜茶をワンピースで拭きながら、自分のつたない小説を座布団の下に滑り込ませて恥じ入っていた。そんな私を大作家はじっと見ていらした。

(物書きはああいう目をしていなければダメなんだ)

料亭を出て歩く私の脚に桜茶でびしょびしょにぬれたスカートがまとわりついた。

高校の卒業試験が終わり、大学入試の準備に専念していた時、松竹から映画「我が家は楽し」に女学生役で出演してほしいと申し出があった。

入試も気になったが、映画というものも体験してみたかった。「これ1本だけ」と両親に頼んで出た映画がヒットし、私は主役、准主役など多くの映画に出て、結局は女優街道を走る身となった。

初めて体験した撮影現場で「大変な世界に入ってしまった」と私はほぞをかんだ。

カメラマンが私の顔を見ながら「ちょっとわらってみようか」と言う。「なぜ笑うんですか」と聞いたら、「あんたじゃないよ。後ろの茶だんすを外せということだよ」と言ってみんなが笑った。

また私の顔を見て「ちょっと顎をあげようか。もうちょい」と言う。たまらず「これ以上あげたらひっくり返ります」と答えると、「あんたの顎じゃないよ。お二階さんのライトの顎だよ」と言って、スタッフが面白がった。

(主語をはっきり言えよ)

私は心の中でつぶやいた。

ライティング待ちの間、寒かったので真っ赤に燃えるドラム缶の炭火を囲んで父親役の笠智衆さん、母親役の山田五十鈴さん、長女役の高峰秀子さんが談笑していた。大学をあきらめきれない私は教科書にのめり込んでいた。

「惠子ちゃん」と高峰さんから声がかかった。「撮影所で読んでいいのは脚本だけよ」「ごめんなさい」と謝りながら私は「怖ーい」と思った。秀子さん恐怖症になった。

私と敦子さんは相変わらず研究生という身分だったので主役を務めながら、その他大勢や通行人としても出演した。眠る間もない毎日を私たちは結構面白がって過ごした。

煤(すす)けた畳の大部屋の隅っこに岸惠子、小園蓉子という2つの名札がかけられた。ちっちゃな名札は風が吹くとぶつかり合ってカタカタと鳴った。

(女優)

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岸惠子

女優の岸惠子さんは横浜市で生まれ育ち、戦時中には空襲に遭い九死に一生を得ました。高校時代、同級生と一緒に見学に行った松竹大船撮影所でスカウトされてデビュー。佐田啓二さんと共演した映画「君の名は」で一躍国民的スターとなります。フランス人映画監督イヴ・シァンピさんと結婚して渡仏してからも離婚や辺境への旅など波瀾万丈の人生が続きます。

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