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岸惠子(10)スター

人気者、でも研究生扱い ギャラの差にあぜんもめげず

いつの間にか私はスターと呼ばれるようになっていた。

恋人役での共演が多かった鶴田浩二さんと

けれど身分は相変わらず大部屋所属の研究生。主役を掛け持ちしてもギャラはなく、月に研究費として4500円を支給されるだけだった。

「それも3回に分けて1500円。ロケに240円の手当が出たの覚えてる? ニコヨンだって大笑いしたわね」

去年、私の舞台「わりなき恋」を見に来てくれた小園蓉子さんと昔話に花が咲いた。

待遇に不満はなかった。不満は映画の内容だった。娯楽が少ないこの時代。2、3本立ての大量生産が当たり前でお粗末な内容が多かった。電車の中で私は大部屋の女優仲間に爆発状態で言った。

「ヘンテコな題名のつまらない映画に出るのは嫌!」

翌日、所長に叱られた。

「電車の中で大監督の悪口を言っちゃいかんよ」

「大監督って誰ですか」

「君が出ている映画の監督だよ。電車の中で君のすぐ後ろに座っていたらしい」

「きゃー、そんな偉い人が三等車に乗ってたんですか」

私のトンチンカンな反応に高村所長が苦笑いした。

その映画は「相惚(あいほ)れトコトン同志」。監督は鬼才とうたわれた川島雄三さんだった。

別の日、また所長に呼ばれた。「何を怒られるのか」と覚悟した私はまず所長室前の秘書室に入った。秘書の女性が慌てる様子が見え、目を上げると窓際に契約書が10枚ほど乾かしてあった。半紙に筆書きされた旧漢字でたっぷりした墨がまだ光っている。

面白いことに、主役も中堅も一律で1本50万円だった。(私、彼らの百分の一にもならないの?)とあぜんとしたが、めげたりはしなかった。

「人気者なのに研究生扱いはないだろう」と佐田啓二さんが陳情してくれたらしい。作品は覚えていないが初めてギャラをいただいた。50万円にはほど遠い3万円程度だったが「やっと女優になったかな」という感慨があった。

遠出のロケは相手役の車に乗せてもらった。ある日のロケ帰り、便乗させてもらった鶴田浩二さんに「なぜ暗い道を走るの? ネオンのキラキラした街を走りたい」と言った。「ここは山の中なんだ」と困惑する鶴田さんに私は日ごろの思いをぶちまけた。

「銀座の真ん中を鶴田さんと2人で歩いてみたい」

「恐ろしいことを言うお嬢さんだね」

「なぜ天下の大道を2人で歩いちゃダメなの? 男と女だから? スターだから?」

山の頂上で車は止まった。

「さ、降りて。天下の大道を2人で歩こう」

「こんな暗い山の中は嫌。明るい天下の大道がいい」

「ま、降りて見なさい。ネオンなんかよりきれいな星がキラキラしている」

あまりの美しさに私は息をのんだ。満天の星が手を伸ばせばつかめそうだった。

「すごく高い山なのね」

「天下の嶮(けん)と人の言う、山の名前は箱根でござんす」

私は踊りながら、笠置シヅ子さんが聞けば顔をしかめそうな調子外れな声で歌った。

●(歌記号)トッオキョブギウギ~、リズムウキウキ~、ココロズキズキワクワク~~~

次の瞬間、私の片足がズブズブと冷たいところに落ち込んだ。

「きゃ、変な臭い」

「あぜ道から肥やしをまいた田んぼに落ちたんだよ」

「なぜ天下の嶮に肥やしをまいた田んぼがあるの!」

満天の星とロマンチックとは言えない肥やしの臭いの中で2人は笑い転げた。

(女優)

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岸惠子

女優の岸惠子さんは横浜市で生まれ育ち、戦時中には空襲に遭い九死に一生を得ました。高校時代、同級生と一緒に見学に行った松竹大船撮影所でスカウトされてデビュー。佐田啓二さんと共演した映画「君の名は」で一躍国民的スターとなります。フランス人映画監督イヴ・シァンピさんと結婚して渡仏してからも離婚や辺境への旅など波瀾万丈の人生が続きます。

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