春秋

2020/3/12付
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「令和」の典拠である万葉集の梅花の宴は、万人の知るところになった。天平2年(730年)の初春。大宰府の長官、大伴旅人の邸宅で開いた歌会に集った面々のなかに、山上憶良がいた。遣唐使にも選ばれ、後の聖武天皇の進講役も務めた当代屈指の教養人だった。

▼憶良は、他者の悲しみを、我が事として代弁する歌風で知られる。重税に苦しむ農民や、辺境の地に赴く防人(さきもり)の家族などにも共感のまなざしを注いだ。「妹が見し楝(あふち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに」。とは、万葉集に収められた憶良の作。愛妻を亡くしたばかりの大伴旅人の傷心を推し量った哀悼の歌である。

▼楝は、初夏に淡い紫色のかれんな花を咲かせるセンダンの古名。いにしえの雅人に親しまれた樹木で、古歌や枕草子などの随筆も好んで題材にしている。東京電力福島第1原発事故で塗炭の苦しみを味わった福島県双葉町のシンボルの木でもある。「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」のことわざに由来し、「町民の歌」にも登場する。

▼先週、立ち入り規制が解除されたばかりの双葉町の中心部「せんだん通り」を歩いた。「夢広げ 無限の未来を 創る町」。古里の発展を願う標語の立て看板が、無人の民家の前にあった。きのう政府は、新型コロナウイルス禍で東日本大震災の追悼式典を見送った。憶良なら、被災した人々の胸中をどう吟じるだろうか。

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