春秋

2019/10/6付
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通勤の乗換駅で、ノーベル賞を数年前に受けた科学者の姿を何度か見かけたことがある。高架のホームから雪崩をうって降りてくる乗客を横目に、自らは電車に乗ろうと階段を上がる機をはかるふうであった。群衆から頭一つ抜け出す長身で、どこか悲しげにも見えた。

▼今年も明日の生理学・医学を皮切りに、14日の経済学までノーベル賞受賞者が発表される。1949年に湯川秀樹が物理学賞に輝き、自信を失った人々に希望を与えて以降、私たちはこの賞に特別な思いを込めてきた。2000年以降は科学系での栄誉が続き、国の秘める知力や探求心の指標のように誇る人も多いだろう。

▼ただ、賞の対象はかなり前の成果もあって、逆に受賞者をはじめ、最先端の頭脳は今、深く憂えている。「この先、日本のサイエンスは大丈夫か」。国の科学技術予算は横ばいで、大学も若手に自由な発想で任せる余裕が物心両面で乏しい。栄冠を手にした後の会見で、喜びより「基礎研究に支援を」と訴える現状なのだ。

▼思えば、不良債権処理やら出生率の大幅な低下の際も「抜本策を」と訴える賢者がいないではなかった。だが、先送りされたり、進行形で社会を悩ませたりしている。「科学技術立国」の目標も同じ軌跡をたどるのだろうか。冒頭の科学者だが、人波に抗しつつ、一歩踏み出しホームに消えた。ゆっくりと確かな足取りで。

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