春秋

2019/6/12付
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亡くなった田辺聖子さんは大阪市福島区で育った。今のキタの繁華街、梅田の西隣である。同居の曽祖母は火鉢のそばで、ひ孫にこんなふうな話をしたという。「家康のタヌキ親父がかわいそうな後家はんと小ちゃい子供をたぶらかし、大阪城を落としてしもたんだす」

▼大阪の人たちの秀吉こと「太閤はん」びいきの一端を、本紙の「私の履歴書」で解説している。貧しい暮らしから天下人に出世した景気のよさや、そのキンキラ趣味などが人々の嗜好に合ったという。ちなみに、鉄道から始まり、大きな構想のもと、次々と事業を広げた小林一三も「イチゾはん」と親しまれていたようだ。

▼理より情を重んじる気風に加え、田辺さんの幼少期には、いわゆる大(だい)大阪時代の余韻が残っていた。新しい産業が栄え、交通網も整って、大阪が日本一とされた時分である。種々の文化が入り乱れ、田辺さんも落語や漫才、歌舞伎に浄瑠璃、洋画と「ごった煮」の中で感性を養った。長年の創作の土台となったことだろう。

▼今の大阪も変貌の途上にあるようだ。6年後の大阪・関西万博に向け、キタの高層ビルはさらに増えるらしい。黒門市場やデパートには、もっと外国人旅行客が訪れるはずだ。さまざまな出会いや別れが、やがては歌や物語に昇華することもあろう。お聖さんも天国から後進にエールを送っている。「はよ、読みたいわー」

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