春秋

2019/6/1付
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「城の崎にて」「小僧の神様」などで知られる作家の志賀直哉は、1969年、新聞に随筆を寄せた。自らの命をナイル川のしずくに例え、「その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年遡っても私はいず、何万年経っても再び生まれては来ないのだ」と書いている。

▼「しかもなおその私は依然として大河の水の一滴に過(す)ぎない」。そう続き「それで差支(さしつか)えないのだ」と結んだ。60年の創作活動の末、たどり着いた境地だったろうか。この一文が発表されて半世紀、少し似た表現で月刊誌に自らの思いを吐露したのが村上春樹さんである。従軍した父の生涯に迫る「猫を棄(す)てる」の末尾だ。

▼我々を雨粒の一滴になぞらえ、一滴には一滴なりの思いがある、歴史がある、歴史を受け継ぐ責務がある、と畳みかける。雨粒はどこかに吸い込まれ、輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられ消える。逆にだからこそ、思いや歴史を忘れてはならないと村上さんは説いていた。老境の達観とは異なり、悲壮な趣さえある。

▼令和も、ひと月。新しい世に希望を託したはずだったが、国の内外でかけがえのない命の受難が続く。シリアで200人超の市民が死亡、日本では幼児が無謀な運転の犠牲となった。登校中の児童らが殺傷された事件には言葉がでない。涙は乾くまもないが、同じ「一滴」として底知れぬ無念や悲しみに寄り添い続けたい。

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