石原信雄(2)養蚕農家の長男
体小さく 目立たぬ子供 反対押し切り旧制中学へ
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1926年(大正15年)、群馬県佐波郡剛志村、現在の伊勢崎市に生まれた。かつて群馬県は全国一の養蚕県で、辺り一面、桑畑。私の家も養蚕農家である。田畑は1町5反、約4500坪あり、農家としては中農だろう。
曽祖父は明治期に剛志村の村長を務めた。次男の祖父は分家してボンボンだったのだろう、どんなに忙しくても農作業の前に小鳥に餌をやり、花に水をやる花鳥風月を楽しむ人だった。「本家に負けたくない」が口癖だ...
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内閣官房副長官として昭和から平成にかけて7人の首相に仕えた石原信雄さん。竹下登内閣では消費税導入、昭和天皇の崩御と改元に立ち会いました。「私の履歴書」では、幼少期からの足跡をたどります。
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