2019年6月18日(火)

「平成のIPO」浮き沈み
SmartTimes セントリス・コーポレートアドバイザリー代表取締役 谷間真氏

コラム(ビジネス)
2019/4/12付
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私が初めてIPO業務に携わったのは1996年(平成8年)。当時24歳だったので、すでに23年間IPOを見てきたことになる。平成の終わりに「平成のIPO」を振り返りたい。

1971年生まれ。京大卒。公認会計士。2002年にIPO支援コンサルタントとして独立。07年から上場企業の経営者を務め、11年からシンガポールでも活動。13年にIPOビジネス再開

1971年生まれ。京大卒。公認会計士。2002年にIPO支援コンサルタントとして独立。07年から上場企業の経営者を務め、11年からシンガポールでも活動。13年にIPOビジネス再開

平成はバブル景気の中でスタートした。IPO件数も85年(昭和60年)の60社程度から91年(平成3年)には120社程度まで増加した。当時の株式公開は店頭公開であっても成功企業のものであり、設立から20年以上を要するのが常識だった。92年にバブル経済が崩壊し、IPO件数は一気に20社程度に減少した。

店頭市場は盛り返し、94年からIPOは150件以上に回復した。95年に店頭特則市場、97年にグリーンシート市場を日本証券業協会が創設し、ベンチャー企業に特化したディー・ブレイン証券も誕生した。

私は97年に主幹事証券であった山一証券の経営破綻がありつつも98年に大証2部で初めてのIPOを経験し、その後すぐにディー・ブレイン関西の設立に参画。関西でのベンチャー企業の発掘・支援に奔走した。しかし店頭特則市場、グリーンシート市場ともにベンチャー企業のインフラとなることはなかった。

しかし99年にソフトバンクのナスダック・ジャパン構想、東証のマザーズ市場創設が発表され、時代は大きく動く。

メガバンク系証券などがIPO業務に本格参入し、ナスダック・ジャパンやマザーズ市場はベンチャー企業の直接金融インフラとして成長していった。

ナスダック・ジャパンがヘラクレス市場となり、マザーズ市場の優位性が際立つ。私も2003年から05年に東証マザーズで4社のIPOを行った。

99年から06年まで活況だったIPO業界もライブドアショック、リーマン・ショックで暗黒の時代を迎える。09年にIPO件数は19件にまで落ち込み、証券会社はリストラや異動を実施。IPOコンサルタントも激減し、IPO業界は壊滅した。これが今の業界の人材レベルの低さにつながっている。

その後はアベノミクスで徐々にIPO件数が増加し、15年からは100件程度に回復しつつある。私も15年から18年にかけて3社のIPOを行ったが、証券会社に暗黒時代以前からIPOを取り仕切ってきた人材は少ない。ほとんどの証券会社が分業体制を採用してきたため、IPO全体を見渡せる担当者が極めて少なくなっている。

ただ、以前から公開引受部が全体を取り仕切ってきた大和証券だけでなく、SMBC日興証券も公開引受部がIPOを取り仕切る方向へとカジを切ったようなので、今後が期待される。IPOにまつわるインフラは経済成長を促進するベンチャー企業の成長に必要不可欠だ。「令和のIPO」が「平成のIPO」よりも輝けるものとなるため、活動していきたい。

[日経産業新聞2019年4月12日付]

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