国家はいかに「楠木正成」を作ったのか 谷田博幸著
軍国主義と結びついた偶像
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伊藤博文銅像市中引き回し事件をご存じだろうか。日露戦争勝利もつかの間、講和条約に不満を抱いた神戸の民衆が銅像を倒し、縄をかけて引きずり回した。原因は銅像の場所、すなわち湊川神社であった。同社といえば楠木正成(楠公)を祀(まつ)る聖地である。初代兵庫県知事・内閣総理大臣を務め、楠公崇敬の念も篤(あつ)い伊藤にふさわしい地と思われるが、忠節の象徴の膝元に、風上にもおけぬ俗人の寿像など論外という群衆の思...
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