春秋

2019/2/20 1:11
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けがや病は時に不思議な縁を生むらしい。1882年、自由党党首、板垣退助は岐阜で暴漢に刺され負傷する。「自由は死せず」の名言が飛び出たとされる一件だ。診察したのは名古屋の医師だった若き後藤新平。関東大震災後の帝都復興の計画を練った政治家である。

▼板垣に「さだめし、ご本望でしょう」と話しかけたと伝わる。時代は下り、戦前の首相で、最後の海軍大臣となった米内光政の主治医は武見太郎だ。後に日本医師会のドンと言われ「ケンカ太郎」の異名もとった。東京・銀座の診療所で食欲の不振に悩む米内に「酒をお飲みなさい」とすすめ、左党の患者を喜ばせている。

▼来週初めは国公立大の2次試験で、入試シーズンは佳境を迎えている。とりわけ、医学部の志願者や保護者にとっては、昨年相次ぎ発覚した不適切な得点調整の霧がすっきり晴れぬままの受験だったのではなかろうか。難化著しいとされる狭き門。公正さに欠けては、社会は有能な医師という財産を失う恐れも出てこよう。

▼高齢化で医師と患者の接点は増える一方だ。かつての後藤や武見ではないけれど、重い人生を背負った年長者と向き合う胆力やスキルも試される。医師の卵らにはそんな人間形成も大切ではなかろうか。「付属病院の維持や発展に必要だった」。卒業生の身内を優遇したある大学の弁明である。お家が大事か。小さいなあ。

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