多川俊映(2)団塊の世代
命懸けの超高齢出産 出産祝いの控え「玉子・砂糖」
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1947年(昭和22年)3月6日に奈良市に生まれた。興福寺境内の子院、興善院で父、乗俊(じょうしゅん)、母、貞子(さだこ)の3男である。名前は俊文(としふみ)。後年、団塊といわれ、どこにでも、うようよいる世代だ。
私を産んだとき、母は42歳。今でも高齢出産といっていいが、戦後間もない栄養不足の時代であることを考えれば、まさに超高齢出産だ。今も大事に保管している「妊産婦手帳」には「陣痛微弱、鉗子(か...
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