仏壇でアート 現代の祈り
上部に角・ウルトラマンの木魚も 斬新な物作る 都築数明

2018/10/15 6:00
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武将のカブトのように角を生やしたり、人が中に入って座禅が組めたり。江戸中期から約300年続く仏壇産地、愛知県三河地方で既成の概念から飛び出した仏壇を作っている。最近はウルトラマンの顔をした木魚など仏具にも広がってきた。

この世界に入ったのは、大人になってから。私は3人兄弟の末っ子で、父が営む仏壇店は2番目の兄が継ぐことになっていた。両親から「何をやってもいい」と言われたので、高校卒業とともに米国に渡り、シアトル近郊の大学で4年間、数学を学ぶ。

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三河の仏壇受け継ぐ

1994年に帰国したら、バブル経済がはじけた後で、就職先がない。父の店に戻り職人仕事を学ぼうと思って漆塗りの修業に出た。ところが兄が父と衝突して家を飛び出す。代わりの後継ぎとして私が呼び戻された。

三河の仏壇の起源は1704年とされる。幕末から明治にかけ、岡崎市内をはじめ三河地方で職人が増え、産地が形成された。ご先祖様をまつるものだから、家族のあり方が大きく変化する今、仏壇も変わらなければならないと感じている。

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時代に合うデザインに

生産のピークは85年ごろ。その後は景気も下り坂になり、高さ1.8メートルの荘厳華麗な仏壇を新調する家はめっきり少なくなっていた。「もっと現代の家に合ったものを作らなければ」と思い、インテリアコーディネーターの資格を取得。身につけた完成予想図の技術が役に立つことになる。

当時、全国の産地が集まるコンクールが2年に1回開かれていた。新作を審査する部門ができ「既存のイメージを大きく変えるようなものを出してみよう」と思い立つ。

まず、土台を伝統的な四角ではなく八角形にした。思い切って高さを半分ほどにして、マンションやアパートでも入れやすくした。内部がよく見えるように開口部が大きい「うねり長押」や、障子の部分に家紋や花鳥風月の彫刻を施す「花子」など、伝統的な特徴は残しつつ、新しい時代に合ったデザインを取り入れた。2001年、運よく金賞を取る。

勇壮なカブトを模して大きな角を付けた仏壇と筆者

勇壮なカブトを模して大きな角を付けた仏壇と筆者

仏壇は職人が1人で作るのではない。木地師、屋根を作る宮殿師、蒔絵(まきえ)師、彫刻師など、8工程ほどの分業で成り立つ。私が受け持つのは設計と最後の組み立てだ。03年、各職種の若手と「仏壇クリエーターズ アートマン・ジャパン」というグループを発足させた。

皆で「21世紀厨子(ずし)」という仏壇を作ったことがある。奈良・法隆寺の国宝「玉虫厨子(たまむしのずし)」をモチーフに、二重の仏塔をかたどった。中央扉や組み物には豪華な金箔を押す。お勤めの際、自然と手を合わせてお祈りするような荘厳さを目指した。

角を生やしたのは、戦国武将のカブトからの連想で「武壇」と名付けた。高さ3メートルの「カンタカ」は内部に座って瞑想(めいそう)できる空間を設け、周囲にぐるりと先祖の位牌(いはい)などを飾る棚をしつらえた。「こんなの仏壇じゃない」と思われるかもしれない。実際、何度もそう言われた。それでもめげずに新しいものを作る。

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海外に伝統工芸伝える

原動力の一つに、外国の人々にも魅力を伝えたいという思いがあった。日本の様々な伝統工芸の技が凝縮されていて、海外にアピールする力も強いはずだ。

08年に米ニューヨークで、09年には独デュッセルドルフで個展を開いた。ニューヨークでは映画「オースティン・パワーズ」シリーズなどでおなじみの俳優マイク・マイヤーズがふらっとギャラリーに入ってきてビックリ。「すばらしい、美しい」と褒めてくれてホッとした。現地の日本人からは「最近の仏壇はとうとうこんな形になってしまったのか……」と言われたこともあったが。

近年は従来の製作の枠を超えて活動している。東日本大震災の後に位牌をボランティアで修復したとき、位牌を大切にする人々と接して「仏壇にばかりこだわっていてはいけないな」と感じた。

13年にはウルトラマンの顔をかたどった「ウルトラ木魚」まで作ってしまった。円谷プロの50周年記念で依頼された。アイデアを出したときは「不謹慎だ」と叱られるのではないかとビクビクしていたが、蓋を開けたら正反対。お坊さんが「子どもたちに興味を持ってもらえる」と言ってうれしそうに買っていく。

伝統の技とともに、ご先祖様を大切に敬い、供養する心も守り伝えていければといつも願っている。

(つづき・かずあき=仏壇職人)

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