2018年9月22日(土)

歴史を知り日本の針路に生かそう

2018/8/14 23:09
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 先の大戦が終わって73回目の終戦の日を迎えた。戦禍を被った内外の多くの犠牲者を悼み、黙とうをささげたい。

 戦没者を追悼する行事では、若い参加者が「平和の誓い」と題して詩などを朗読することがよくある。旧日本軍の特攻兵器「回天」の訓練基地があった山口県周南市で昨年開かれた式典では、「すべての生命を大切にします」など6項目からなる国連教育科学文化機関(ユネスコ)の平和宣言を中学生が読み上げた。

鈴木貫太郎の終戦工作

 戦争の記憶を次の世代へと伝えていくことはとても大切だ。きょうは「平成最後の終戦の日」である。来年は新しい元号で迎えるので、「昭和の惨禍」はさらに遠のく。あらゆる機会を捉え、日本はなぜあの戦争に突き進み、敗色が濃くなっても戦ったのかを問い続けていきたい。

 今年は、大戦中の最後の首相だった鈴木貫太郎の没後70年にあたる。死の直前に残した言葉が「永遠の平和」だったことはよく知られている。鈴木に詳しい東大の加藤陽子教授と、鈴木の孫である道子さんに話を聞いてきた。

 鈴木内閣が発足したのは1945年4月である。家族にはイタリア降伏時の首相の名を挙げて「バドリオになる」と告げたそうだ。その時点ですでに、自分の仕事が幕引き役であることをよくわかっていたのだろう。

 それから終戦に至る4カ月の評価は簡単ではない。もっと早く白旗をあげていれば、原爆の惨禍は避けられた。中国残留孤児をうむことなく、沖縄戦もあれほど多くの住民を戦闘に巻き込まずにすんだかもしれない。

 他方、鈴木の慎重な終戦工作があったから、イタリアのような降伏派と継戦派の内戦に陥ることなく、ドイツのような壊滅的な本土決戦を戦うこともなく、降伏できたと評する向きもある。

 SF作家の小松左京の『地には平和を』は、ポツダム宣言の受諾直前に旧軍がクーデターで政権を奪い、本土決戦に突入した日本を描いた作品だ。これが決して絵空事でなかったことは、終戦の詔書を収録した玉音盤の奪取未遂事件が8月14日深夜に起きたことからもうかがえる。

 「戦争を正しく終結させるには戦争を効果的に始めるのと同じくらいの力量が少なくとも必要である」。おととし亡くなったノーベル経済学賞の受賞者トーマス・シェリングの著書『軍備と影響力』はこう指摘する。

 あらゆる局面において、撤退の決断は最も難しいことのひとつだ。鈴木が終戦に果たした役割を振り返ることは、いまの時代にも意味がある。

 米国のトランプ大統領に代表される自国第一主義者が世界のあちこちに現れ、国際秩序は不安定さを増している。日本でも周辺国とのあつれきをめぐり、「強硬策も辞さず」などという声を聞くことがある。

 外交には圧力が必要なときもあるが、売り言葉に買い言葉ということわざもある。いちど大ごとにしてしまったら、国際紛争の収拾が容易ではないことを常に頭に入れておきたい。

 鈴木の役割は戦後も続く。

 「柔弱は生路なり。強硬は死路なり」

戦争放棄は誰の発案か

 これは枢密院が現憲法の原案を審議した際、9条に戦争放棄のみならず、戦力不保持を書き込むことを議長だった鈴木が前向きに受け止めた発言である。大きな異論なく原案が了承されたのは、鈴木の手腕といってよい。

 その9条の根幹である戦争放棄を最初に思いついたのは、首相だった幣原喜重郎なのか、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官だったダグラス・マッカーサーなのか。さまざまな見方がある。中央大の服部龍二教授が近年、新たな説を紹介している。

 日独伊三国軍事同盟を推進した外交官の白鳥敏夫が出所というものだ。「天皇に関する条章と不戦条項とを密接不可離」にすべきだとの書簡を終戦後、吉田茂に送ったという。慶応大の細谷雄一教授は「白鳥がA級戦犯として有罪になったことを考慮すれば、皮肉なめぐり合わせ」と評する。

 日本が戦争へと突き進み、無残な敗北を迎えたあの時代、そこにはさまざまな歴史のあやが絡まっていた。

 そのひとつひとつを探求し、そこに教訓を見いだす。そして、これからの日本の針路に生かしていく。そうした態度もまた、ある種の「平和の誓い」である。

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