2019年7月18日(木)

逮捕 どん底からの社長業 社風に物申す まさかの就任

松井忠三
2018/2/1 6:00
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あの日のことは正確に覚えている。1969年(昭和44年)5月13日。私は20歳の誕生日を高輪警察署(東京・港)の留置場で迎えた。学生運動にのめり込み、沖縄返還を求める4月28日の沖縄デーで「中核」のヘルメットをかぶり機動隊と激突した。新橋駅の高架線上で逃げ場を失い一網打尽にされる。逮捕者は約1000人にのぼり戦後最大の騒乱だった。

これが私の人生を変えた。教師を目指して東京教育大学(現筑波大学)に進んだはずが、逮捕歴が尾を引き教員試験は不合格となる。

最近の筆者

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夢絶たれた自分を卒業後に拾ってくれたのが、求人広告で見つけた西友ストアー(現西友)だ。73年6月に入社。24歳。学生運動では社会革命は未完に終わったが、急成長するスーパーで大衆を豊かにする流通革命なら可能性があると思った。当時「西のダイエー、東の西友」といわれ、創業者の中内功、堤清二の両氏は時代の寵児(ちょうじ)だった。そんな舞台で活躍しようとした団塊の世代は多かった。

流通革命の戦士として最前線の売り場にいたのはわずか3年弱。人事部に異動となる。そこに約15年もいるとは思ってもみなかったが、同じ部署で会社を冷静に見られたのは良かった。西友と西武百貨店が中核のセゾングループは堤氏の鋭い感性と先見性で引っ張ってきたから組織運営は弱く、上司ばかり見る廊下トンビのような社員が出世するのを間近で見ていた。「この会社はおかしい」。口にはしないがセゾンの社風にどっぷり浸(つ)かっている周りからは「使いにくい奴」と思われた。

西友から分社直後の良品計画(店名は無印良品)に出向したのが91年(平成3年)。41歳。親会社の課長から子会社の課長へと、強烈な左遷だった。上司で後に社長、会長となる木内政雄さん曰(いわ)く。「浮いていたから、とってやった」

そもそも無印良品は堤氏と著名なデザイナーたちが熟考した末、80年にブランドを否定したアンチテーゼとして西友で生まれた。簡素で素材を生かし切るコンセプトは、大衆消費社会から成熟社会への移行を予見していた。

バブル崩壊で生活者の意識が実質的なものに変わり会社は急成長。株価は99年に4万5200円を付けるが絶好調の時には不振の芽はあった。作る仕組み、売る仕組みの両輪がかみ合わなくなっていた。案の定、業績は急降下。原因を外部に求めるのもセゾンの遺伝子だ。雑貨は100円ショップ、衣料はユニクロ、家具はニトリなどに市場を奪われ四面楚歌(そか)と論評していた。

「問題は社内。社風だ」と社長に直訴した。建白したので「もう会社にはいられない」と、2000年10月、木内会長に辞表を出した。ところが年末に「社長をやれ」と会長に言われやぶ蛇になる。

翌年、51歳で社長。この年の中間決算で創業来初めて最終赤字に転落した。どん底からの社長業だ。逮捕歴のある身としては腹を括(くく)ったつもりで再生に取り組むが、セゾン崩壊の危機に直面し押しつぶされそうにもなる。株価は02年には1280円まで下がった。首の皮一枚で社風を変えようと奔走する。

結果はどうだったのか。

これから1カ月。無印良品の歴史と私の歩みを重ねながら再生の行方を綴(つづ)っていきたいと思う。

(良品計画元会長)

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