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江夏豊(26)21球その後

広島初の日本一に貢献 次の世代思い、移籍受け入れ

九回裏1死満塁。近鉄の打者、石渡茂はスクイズをしてくるはずだ。問題はいつやってくるか。全神経を集中して、石渡を観察した。ふだんは右目で打者を、左目で捕手を見て放っていたが、ここは両目で石渡だけを見た。

1ストライクからの2球目。石渡のバットが一瞬下がるのがみえた。来た。スクイズだ。100分の1秒というほどの判断で、外角高めにはずした。飛びつくようにして出したバットが空を切り、突っ込んできた走者藤瀬史朗はタッチアウト。なお二、三塁とピンチは続いていたが、最後は石渡を空振り三振に仕留めた。

1979(昭和54)年11月4日、広島が初の日本一に輝いた瞬間だった。

九回に投じた球数は21。無死満塁からの脱出劇をノンフィクションライターの山際淳司さんが深掘りし、「江夏の21球」として世に広まった。

スクイズをはずした球はカーブだった。普通、ピッチドアウトするなら直球であり、カーブはありえない。ましてや、とっさの判断でボール球にするなど、ちょっとでも野球をかじった人には人間業と思えないはずだ。

近鉄サイドや評論家が偶然はずれただけ、というのも無理はなかった。しかしあれは100%、自分の意思ではずした。

ただ、あの試合、どっちに転んでもおかしくなかったのは間違いない。近鉄の西本幸雄監督とすれば、江夏攻略にはこれしかないというシナリオ通りになっていた。塁に出たら藤瀬らの足でかき回し、決定機には前年の首位打者で、左投手に強い佐々木恭介。

その佐々木が、神様のちょっとしたいたずらで打てなかった。打てるとすればカウントを取りに行った2球目だったが、手を出さなかった。紙一重の勝負だった。

他人の作ったピンチならともかく、自分でまいた種だったということもある。野球の神様が、たまたま自分にほほ笑んでくれたのだ。

初めての日本一に酔いしれたが、個人的に納得できないことが一つ残った。九回のピンチにブルペンで、池谷公二郎らを準備させた古葉竹識監督のことだ。

大阪球場は室内にもブルペンがあるのだから、わざわざ見えるところでやらせなくてもいい。あえて屋外でやらせたのは古葉監督のあてつけだったと、自分は受け止めた。

監督を一回ぎゃふんと言わせなくては……。翌80年の開幕戦で、ある作戦を決行した。「去年のシリーズの最後の試合に関して納得できないことがある。もう野球をする気はないから、帰らせてくれ」。監督が一番困るのは自分がベンチに入らないことだ。

慌てた古葉さん、開幕日に来られたお偉いさんたちとの面会を全部キャンセルし、延々と釈明した。自分としてはちょっと困らせて一言謝罪があれば、それで十分だった。

広島のユニホームはこの年が最後になった。再び近鉄を破り、連続の日本一となったあと、日本ハムへ移籍した。

古葉体制もやがては終わり、山本浩二らの時代がくるはずだった。そのときに自分がいてはやりづらいだろうと、自分でもわかっていた。

「今ならどこでも通用する。力が落ちたら、どうにもならんぞ」という古葉さんの移籍の薦めも素直に聞けた。選手を大人扱いしてくれ、優勝の味を教えてくれた古葉さんには、今も感謝の気持ちしかない。

(元プロ野球投手)

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