2018年7月19日(木)

わだかまりなく戦没者を追悼したい

2017/8/15 2:30
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 戦後72回目の終戦の日を迎えた。先の大戦で惨禍を被った内外の多くの犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにしたい。

 先日、沖縄県の大田昌秀元知事が亡くなった。沖縄戦では、少年兵で構成する鉄血勤皇隊に動員され、最前線で伝令などを務めた。「鉄の暴風」を生きのびたのは、師範学校の同期生125人のうち37人だった。

 戦後は米国の大学などで学び、日本側の資料がほぼ焼失した沖縄戦の様相を米資料などから再現しようと努めた。

敵と味方を区別せず

 大田氏の知事時代の言動には毀誉褒貶(ほうへん)があるが、大きな業績も残した。いちばんは1995年、戦いの最期の地となった摩文仁の丘に「平和の礎(いしじ)」を建設したことだ。戦没者の名を刻んだ石碑が並ぶ。

 沖縄戦では家族全滅、集落全滅が少なくなかった。悼む人すらいなくなっていた無名の犠牲者が、戦後半世紀を経て、ようやく弔われる場を得た。

 平和の礎の特徴は、どこの国籍か、軍か民間か、そうしたことを一切区別せず、戦地で倒れた延べ24万人の犠牲者全員を等しく刻印したことだ。

 亡くなれば敵も味方もない。こうした死生観は多くの日本人が共有するものだろう。平和の礎は追悼施設であると同時に、日米の、さらには本土と沖縄の「和解の象徴」でもあるのだ。

 やや似た発想で建てられた祠(ほこら)が東京にある。靖国神社の境内の片隅にひっそり建つ鎮霊社である。靖国の本殿に祀(まつ)られない人々、例えば会津藩の白虎隊や西南戦争で朝敵となった西郷隆盛らの霊を鎮める目的で65年にできた。

 鎮霊社は「和解の象徴」としての評価を広く得ているとは言い難い。2013年に安倍晋三首相が靖国参拝した際、こちらにも足を運び、「諸外国の人々も含め、すべての戦場で倒れた人びとの慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りをしました」と力説したが、かえって中国や韓国の反発を増幅した感があった。

 平和の礎と鎮霊社。ふたつの違いはどこにあるのだろうか。これが正解とは断言しにくいが、ひとついえることがある。真の和解を支える友好の土台がなければ、うわべだけ取り繕っても、相手と心を通じ合わせることはできないということだ。

 昨年、現職の米大統領が初めて被爆地ヒロシマを訪れた。罵声を浴びせられるのではないか、との米側の懸念は杞憂(きゆう)に終わった。謝罪を望む被爆者がいなかったわけではないが、勝者ぶらないオバマ氏の振る舞いは広く歓迎された。

 両国民が70年かけて築いた友好の土台があったからだろう。日米同盟は安保の損得勘定だけで成り立っているわけではない。少々の不協和音では、揺らぎようのない仲である。

 中韓ともこんな関係を築ける日が来るのだろうか。

 公明党の山口那津男代表は先日、広島で原爆死没者慰霊碑だけでなく、韓国人原爆犠牲者慰霊碑にも献花した。原爆で亡くなった14万人のうち、朝鮮半島出身者は2万人もいた。にもかかわらず、政府・与党首脳がこの碑にお参りしたのは初めてだったそうだ。こうした小さな積み重ねの先に真の和解はあるはずだ。

戦争指導者と一線を

 いちばんよいのは靖国神社を巡る問題を解決することだ。赤紙で召集された兵隊さんのために参拝した。鎮霊社で中韓の犠牲者にも手を合わせた。そう釈明しても、参拝すれば合祀(ごうし)されている東京裁判のA級戦犯を肯定したと受け止められても仕方がない。

 政府は過去、(1)無宗教の新施設を建設する(2)身元不明者の遺骨を納めた千鳥ケ淵戦没者墓苑を拡充する――などを検討したが、国民的な支持は得られていない。追悼にもっともふさわしい場所はやはり靖国である。そこを戦前日本の復活を企図する一部の国粋主義者の牙城にしてはなるまい。

 「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」。昭和天皇の御製である。富田メモによれば、東条英機らの合祀に憤り、参拝をやめたとされる。同じような認識の遺族はかなりいるとも聞く。

 分祀と呼ぶのが適当かどうかはともかく、靖国と戦争指導者の間に一線を引く。そうすれば、周辺国との関係改善に資するし、何よりも遺族がわだかまりなく参拝できるようになる。

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