2019年9月18日(水)

叱責まで忠実に ラグビー日本代表通訳・佐藤秀典(上)

2017/1/10付
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「ワールドカップ(W杯)でおまえは親、友人、家族、国民、全ての前で自ら失態をさらし、恥をかく。その準備はできていますか?」。宮崎市のホテル。2015年ラグビーW杯イングランド大会を前にした合宿で、日本代表ヘッドコーチ(HC)のエディー・ジョーンズが練習中のミスを容赦なく責める。通訳の佐藤秀典が淡々と言葉を紡ぐと、選手の目に涙がこみ上げた。

ジョーンズHCや選手のねぎらいの言葉で全てが報われた

ジョーンズHCや選手のねぎらいの言葉で全てが報われた

感情がぶつかり合うスポーツの通訳は難しい。罵倒を和らげて伝えたり、聞き手の心情を思って涙したりすることも起きる。佐藤はどちらも許せない。「話すのは自分じゃない。(言っていることが)正しかろうが間違っていようが、通訳が変えるとコーチが正当に評価されない。黒子として忠実に訳すのが鉄則」

毒舌家であるジョーンズの言葉。哲学を貫くには私情を封じる強さと高い職業意識が必要だった。「ヒデさんに腹が立つ」。叱責を浴び続けた選手から八つ当たりされたこともあったが、代表の精神的支柱だった広瀬俊朗は「ドライに訳してもらって助かった」。多くは指揮官の言葉を率直に聞けたことを感謝する。

緊張の日々、W杯の歓喜さえ一瞬

1日4度の練習、選手面談、取材対応……。1分刻みで動くジョーンズに、通訳だけでなく個人アシスタントとしても尽くした。早朝からパソコンで資料を作り、メールの返信を代行する。1日が終われば深夜に呼び出し。バーでワイン片手に怒りをぶちまける鬼軍曹の聞き役に徹した。ホテルの自室と20階下のジョーンズの部屋を1日に何往復したか分からない。エレベーターの昇降時のメロディーを聞くと憂鬱になった。

ジョーンズはスタッフにも無限の献身を求めた。就任後3年で通訳2人が辞めたのもその厳しさと無縁ではない。W杯本番の年に任を継いだ佐藤も募る心労で頬がこけていく。心配したチームドクターから呼び出され"問診"を受けたほど。

世界を驚かせた南アフリカ戦の歓喜も一瞬だった。空気を緩ませないため、ジョーンズは自らを厳しく律した。「朝から目が血走っていて、話しかけられない空気。いろんなところへの"監視カメラ"の精度がさらに高くなって」。W杯を終えるまでの22日間を「最も時間が長く感じた」。

比喩や皮肉、古今東西の逸話を交えて早口で語るジョーンズの言葉を訳すのは難易度が高かった。講演では同時通訳を求められたこともある。W杯まで夢中で走り抜いた時、選手から「あなたが通訳じゃないとダメだった」と言われた。同じ言葉はジョーンズからも。全てが報われた気がした。

昨年、羽田空港でエレベーターに乗った。耳に届いたのは、宮崎のホテルと同じメロディー。「これ聞いてみ」。横にいた日本代表主将の堀江翔太(パナソニック)に話しかけると、笑いがこみ上げてきた。自国開催の19年W杯へ向かう新生代表でも通訳に就任。伴走者の日々がまた始まった。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊1月10日掲載〕

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