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日ソ共同宣言から60年の現実

日本とソ連(当時)が共同宣言に調印してから、今日でちょうど60年となった。同宣言によって戦争状態が終了し、両国は国交を回復した。しかし、北方領土問題は解決せず、いまだに平和条約を結べていないのが現実だ。

日ソ共同宣言は1956年、当時の鳩山一郎首相とブルガーニン首相がモスクワで署名した。友好善隣関係の回復、互いの請求権の放棄、通商や漁業協力なども盛り込まれ、事実上の平和条約を想定した内容になっていた。

条約締結に至らなかった理由は領土問題だ。同宣言は平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を日本に引き渡すと規定したが、4島の返還を求める日本の世論の抵抗と、冷戦下での日ソ接近を警戒する米国の圧力が強かったためだ。

その後、ソ連側も日米安保条約の改定に反発。2島引き渡しの公約をほごにし「領土問題は存在しない」との強硬姿勢に転じた。当時の状況を踏まえればやむを得なかったのだろうが、領土交渉が長らく停滞したことは否めない。

その共同宣言の有効性を、ロシア首脳で初めて公式に認めたのがプーチン大統領だ。2001年、イルクーツクでの日ロ首脳会談では声明で、平和条約の交渉プロセスの出発点となる基本的な法的文書と明記した。大統領は日ソの両議会が同宣言を批准したことを重視し、ソ連の継承国として「履行義務がある」と言及している。

ただし大統領は、歯舞、色丹の2島を「どのような条件で引き渡すかは明記していない」とクギも刺している。主権の問題を含めてすべて交渉次第というわけだ。

日本では「2島決着」を危惧する声もあるが、北方領土をめぐる日ロの主張の隔たりはただでさえ大きい。真に領土問題の解決をめざすのなら、大統領が有効性を認めている日ソ共同宣言を軸に交渉を進めていくのが筋だろう。

北方領土では60年の間にロシア化が着実に進んだ。還暦を迎えた共同宣言をどう生かしていくか。日ロ首脳の知恵が試されている。

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