2019年6月18日(火)

未来を切り拓くには痛みの訴えも必要だ

2016/9/27 3:30
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政治は言葉である。とりわけ演説では、聞く人の心にひびき、共感を得るものがあるかどうかがポイントだ。それには多くの人が魅力を感じるキーワードをちりばめるのがひとつの方法である。

安倍晋三首相の26日の衆参両院の本会議での所信表明演説を聞いていると「未来」という言葉がたびたび出てくる。

「安倍内閣は未来への挑戦を続ける。世界の真ん中で輝く、日本の未来を共に切り拓(ひら)いていこう」

「2020年、その先の未来に向かって、誰もが能力を存分に発揮できる社会を創る。一億総活躍の未来を共に切り拓いていく」

「思考停止に陥ってはならない。互いに知恵を出し合い、共に未来への橋を架けようではないか」

20年の東京五輪を念頭に、将来に向かって共に歩もうという演説は、けっこう訴えかけるものがあるだろう。

介護福祉士をめざす学生、山形で農業の道を志した22歳の若者、世界シェアの7割をほこるカニかまぼこの製造装置を開発した山口の中小企業……具体的なエピソードを盛り込み、政策課題をホチキスで止めた演説にならないよう苦心の跡がうかがえる。

それでは安倍内閣が見すえている未来とはそもそも何なのだろうか。一億総活躍は将来の日本のビジョンを示すものではない。

第1次内閣でそれは「美しい国」だった。理念先行で空回りした反省から封印、第2次内閣では目の前の課題の処理を優先してきた。それが功を奏し、常に「やっている感」を与え、高い内閣支持率を維持してきたのは間違いない。

しかし政権発足からすでに3年9カ月。向こう2年、場合によってはさらにその先まで、国政を担当していこうとすれば中期的な国家ビジョンが必要になるのではないだろうか。

そのとき「痛み」なしにこの国の未来があるとはとても思えない。不人気であっても、つらくても、正面から向き合い、有権者に訴えていくしかない。ときに政治指導者が真摯に立ち向かってきたことが自民党への信頼につながってきたのを忘れてはなるまい。

演説への共感は負担や不利益を率直に語ることにもあるのを我々は知っている。かつての小泉純一郎首相の「言葉政治」がそうだった。安倍首相は当時、官房副長官として間近で見ていたはずだ。

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