鮎川信夫、橋上の詩学 樋口良澄著
戦争のあとさきを丹念に追う
鮎川信夫といえば、現代は「荒地」であるという時代認識のもとに、戦争の死者を記憶しつづけることによって戦後社会の忘却のプロセスに抵抗し、戦後詩の第一世代を理論と実践の双方から主導した詩人、というようなイメージが定着している。戦後詩の出発を告げる鮎川の名篇(へん)「死んだ男」は、ちょうどドラマなどの音響効果で、軍靴の響きが消え、かわりに突然ジャズの音が鳴りわたるのにも似た印象を私たちに与える。

本書は、そうした文学史的展望をふまえつつも、より大きな、あるいは深いところへと鮎川信夫を解き放ち、いわばひとつの謎としてこの詩人を再生させようとする試みである。その次元をひらく鍵となるのが、著者の言葉を借りるなら、「構築性」、つまり上村隆一(本名)という実人格が、詩人「鮎川信夫」という別人格を構築し、その関係を生涯にわたって一貫させたということだ。
それはまた、「外なる私」と「内なる人」の二重性とも言い換えられる。前者を前面に押し出し、後者はひそませるというのが、この詩人の生のスタイルとなった(そのもっとも顕著なあらわれが、鮎川が死ぬまで「単独者」を装ったことで、じっさいには最所フミという英語学者と結婚していたにもかかわらず、誰もこの事実を知らなかった)。また、両者を架橋して、そのうえに詩作という緊迫した場をもとめてゆくことが、著者いうところの「橋上の詩学」にほかならない。
さらに著者によれば、こうしたふるまいは、鮎川が少年時代に、父の主宰するファシズム系の雑誌に複数の筆名で文章を載せていたその時点にまで遡れるという。そもそも鮎川が「荒地」という時代認識を得たのも戦前のことであったし、また、戦地から傷病兵となって送還されたのち、療養所内で書かれた「戦中手記」においては、のちに戦後詩の理念となる思想の雛形(ひながた)がほぼ出来上がっていた。こうして鮎川は、戦後ではなく戦争の詩人として位置づけられる。件(くだん)の「構築性」も含めて、戦争をそのあとさきにわたって最も深く実存とかかわらせた詩人、それが鮎川信夫だというのである。
著者樋口良澄は、かつて、「現代詩手帖」編集長として晩年の鮎川信夫と濃密に交流した。その経験を生かしつつ丹念に詩人の謎を追っているが、同時に、その行程を通して、右に述べたようなあらたな詩人像を提示することにも成功している。気鋭の批評家の誕生を強く印象づける一冊だ。
(詩人 野村 喜和夫)
[日本経済新聞朝刊2016年8月7日付]
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