2018年7月22日(日)

家族への感謝 10年で次のトップ育成 息子たち鍛え力量見極め
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(30)

2016/7/31 3:30
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 「舞い降りてきた天女のようだ」。妻のテウィ(李嘉倫)と最初に出会ったとき私は息をのんだ。私は香港からバンコクに帰ってきたばかりであり、18歳ぐらいだったろうか。偶然に庭園で出会った。

 そのとき彼女は17歳ぐらいの少女だ。我々の会社の裏に親戚が住んでおり、しょっちゅう遊びに来ていた。私は小さいときから写真を撮影するのが趣味で、海辺で遊ぶ彼女の写真を撮ってあげた。今でもその写真は残っている。

 だが、それ以上交際しようとは考えなかった。私は若かった。オーストラリアの大学にも行かず、働き始めたばかりだ。仕事も単なる末端の事務員だ。給料も少なかった。彼女とは釣り合わないと思った。恋愛などできる資格はない。私は仕事に打ち込んだ。

 いつのまにか私は22歳になっていた。偶然に友人の結婚式のパーティーで彼女に再び出会った。結婚しておらず、ボーイフレンドもいなかった。私はタイ政府傘下の協同組合でそれなりに業績をあげており、結婚を申し込む決意をした。23歳で彼女と家庭を持ち、やがて息子3人、娘2人に恵まれた。

 前にも述べたが、私は息子をCP(チャロン・ポカパン)グループの中核事業(農業・食品)には入れない方針を貫いてきた。長男のスパキットはケーブルテレビ事業の指揮を取り、今はグループの大型投資と中国の小売事業を管轄している。人付き合いが良く、多くの友人に囲まれている。

 次男のナロンは責任感が強い。中国のスーパーの事業を任せたが、事業は本人の思うようには伸びなかった。経営の権限や決定権はパートナー側にあり、思い通りにならなかった。中国で苦しい日々を過ごしたが、私には何一つ不満を訴えなかった。

 三男のスパチャイはベルギー企業とのポリ塩化ビニル合弁事業で幹部として働いたが、その後、通信事業に移ってもらった。一歩ずつ着実に基礎からこの事業を学んだ。アジア通貨危機時には難局を乗り越えようと、銀行団の要請を受けて三男が通信事業の最高経営責任者(CEO)に就任した。

 さて後継者だが、3人の兄と話し合って方針を決めた。私は上級会長となり、長男が会長に就任する。三男はグループCEOになる。同時にこれからの10年で次のCEOを育てたい。経営トップは10年で交代するのが良いと考えている。5年では短すぎる。10年したら私が上級会長を退き、長男が私の後を継ぐ。そして会長には三男が就く。空いたCEOポストに育成した人物を据えたい。

 家族と言えば、父の謝易初に触れたい。父は文化大革命にかけて中国の事業を失い、その後は香港とシンガポールで過ごした。バンコクにいた私は父と会う機会は少なかったが、要所でアドバイスを受け、ヒントをもらった。

 やがて鄧小平が復活してタイと中国の交流も正常化した。改革開放政策が始まった直後に、私は父に連れられて中国を訪れ、投資の交渉に臨んだ。父の発案だった。中国の変化を見届けた高齢の父はようやくバンコクに戻った。1983年、父はこの地で波瀾万丈(はらんばんじょう)の生涯を閉じた。

(CPグループ会長)

おわり

 あすから北里大学特別栄誉教授 大村智氏

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