バーツ急落 通貨危機、破綻を回避
経営資源集中でたくましく
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(25)
1997年7月1日、香港は英国から中国に返還された。私は返還に先立ち、中国側からの依頼を受け、返還作業を見守る「香港事務顧問」という役職に就いていた。江沢民国家主席(当時)ら中国首脳が参列した1日未明の返還式典に私も参列していた。翌2日、バンコクの空港に降り立つと、たいへんな事態が起きていた。
タイ政府が為替制度を突然、変動相場制に変更したからだ。それまでタイは通貨バーツを米ドルに固定するドルペッグ制と呼ばれる為替政策を採用していた。為替レートは1ドル=約25バーツに固定され、タイと外国との間の貿易や投資、融資に伴う為替変動リスクはなかった。
だからタイの企業は外国からお金を借りて事業を急速に発展させた。ところが、96年からタイは経常収支の赤字が顕著になり、バーツがドルに対して高すぎるとみられるようになった。97年になると経常収支の赤字の拡大に目をつけた投機筋がバーツ売りをしかけてきた。タイ政府はバーツ買いの市場介入でドルペッグ制の維持に努めていた。
突然の変更が発表された2日、バーツは対ドルで急落した。その後、半年間にわたってアジア各国・地域の通貨は売りを浴びせられ、急落していく。世に言うアジア通貨危機だ。バーツは翌年の1月には1ドル=50バーツ台まで下がった。バーツの価値は半分になり、外貨で借り入れた債務はバーツ換算で見ると倍に膨らんだ。
不安になった外資系銀行はアジア企業にお金を貸さなくなった。それどころか外資系銀行はCP(チャロン・ポカパン)にも融資資金の早期返還を求めてきた。5年間の長期借り入れの約束がほごにされた。返済を猶予してくれたのは英HSBCなどわずかだった。資金不足に陥ったアジアの有力企業が次々につぶれ、解体に追い込まれた。
CPを守らねばならなかった。私はここで決断した。グループ企業の株式の売却だ。スーパーのロータスは伸び盛りだったが、75%の株を英テスコに売却した。会員制の卸売店、サイアム・マクロの株もオランダのSHVに売った。中国でも上海のオートバイ事業などいくつかの企業の株を手放した。
CPグループは農業・食品、通信、小売りの中核3事業に経営資源を集中した。やがて食品の生産増で輸出が伸び、手元に残る外貨が増えた。コンビニエンスストアはCPの直営店方式からフランチャイズ店を増やし、グループの小売事業成長の足がかりとした。通信は電子マネーや電子商取引、ケーブルテレビなどに参入し、収益源を広げた。
通貨危機は私がCPを承継して以来の苦難だったが、早期の対応で経営破綻を免れ、逆に中核事業をたくましくすることができた。危機は中国語でも危機と書くが、この熟語には深い意味を感じる。危機は危険と同時に機会(チャンス)も秘めていると読めるからだ。
CPは2000年代の半ばには通貨危機を完全に克服し、再び急成長に向かった。13年にはサイアム・マクロをSHVから買い戻した。ロータス(テスコ・ロータス)も買い戻したいのだが、これは相手がうんと言ってくれない。
(CPグループ会長)