/

躍進 鄧小平信じて投資拡大

中国、いまやグループ300社超

タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(21)

1990年4月7日、私は中国の最高指導者、鄧小平と北京で会った。鄧小平にはタイ首相の随行団の一員として何度か会っていたが、このときはCP(チャロン・ポカパン)グループの会長として呼ばれた。鄧小平は85歳になっていたものの、話しぶりは明快ではっきりしていた。

「あなたたちの兄弟はよい名前をもらった」。鄧小平は握手しながら私たち兄弟の名前を口にした。前にも述べたが、私たち4人兄弟は父から中国名を授けられた。正民、大民、中民、国民(私)で、頭文字を取って並べると「正大中国」となる。中国を正しく大きくするという意味だ。

89年に中国は社会が不安定になり、趙紫陽総書記が失脚していた。外国企業が中国投資に後ろ向きになるなかで、正大集団(CPの中国での呼称)はさらに新規の投資を積み上げていた。外国からの投資をつなぎとめる意味もあり、鄧小平は自らが考案した経済特区に真っ先に飛び込んで成功した我々を礼遇した。

「全世界の何千万の華僑にあなたと同じように中国の手助けをしてもらいたい。中国は開放政策を一段と強化する」。誠意のこもった声で私に訴えた。鄧小平は92年1月、高齢をおして経済特区の深圳を訪問し、改革開放の加速を中国の人々に呼びかけた。内外の空気は一変し、中国投資ブームがやってきた。他社に先んじて投資をしていた正大集団は成長のチャンスをしっかりとつかむことができた。

80年代末から90年代初めの上海市長は後に首相となる朱鎔基氏だが、市長在任中に浦東開発というプロジェクトを打ち出した。上海市は市内を流れる黄浦江を境に浦東と浦西の2つに分けられる。浦西は商業地区として繁栄していたが、浦東は造船所があるくらいで残りは農地が広がっていた。

正大集団は上海では養鶏業やオートバイの生産ですでに成功していた。朱市長は我々に浦東の開発を依頼してきた。浦東のような荒れ地には香港の不動産業者も関心がなかった。だが、私は「ここはいずれ発展する」と直感した。黄浦江をはさんで目の前に繁華街があるのだから。

浦東開発はそれこそ道路の造成から始めなければならなかった。ここにさらに4億5千万ドルを投じて商業施設「正大広場」を建設した。上海のシンボルになった東方明珠テレビタワーのたもとだ。開業は2002年とかなりの時間を要したが、私がにらんだ通り、浦東は橋やトンネルで浦西とつながり、上海第2の繁華街に変貌していた。

浦東を足がかりに正大集団は中国にスーパーマーケットのロータスを開業し、今では中国全土に80店を超える販売拠点網を築いている。養鶏、養豚に必要な薬品の製造から出発し、薬品事業にも幅を広げた。「三九胃泰」「青春宝」などのブランドを持つ中国の製薬企業二十数社に出資している。

正大集団は青海省、チベット自治区を除くすべての中国の地域に関連企業を設立し、中国のグループ企業は300社を超えた。農業、食品、自動車製造、番組制作、小売り、製薬……。これまでの総投資額は1100億元、15年の売上高は1000億元近い。正大集団の発展は鄧小平を信じた結果だ。

(CPグループ会長)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

セレクション

トレンドウオッチ

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

新着

注目

ビジネス

暮らし

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン