TVスポンサー バラエティー、中国に新風 週5億人視聴、最長寿番組に
タイ・CPグループ会長 タニン・チャラワノン氏(20)

2016/7/21 3:30
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中国をひんぱんに訪れるようになり、地元のテレビ番組を何気なしに眺めることがあった。一言で言うと「退屈」だった。映画監督になりたかった子供のころの血が騒いだのだろうか、おもしろくてためになる番組を中国でも放送できないかと考えた。

台湾の友人に翁炳栄さんがいた。台湾のテレビ業界の草分け的な存在だ。ラジオ局の幹部として出世し、台湾のテレビ局「中国電視」の創設にかかわった。台湾メディアの東京代表として長期間、日本にも駐在した。日本では、歌手のジュディ・オング(翁倩玉)さんのお父さんといった方が通りがよいだろうか。

翁炳栄さんはテレビ番組のプロデューサーとして辣腕を振るった。私は1960年代から台湾に投資を始め、仕事で足しげく通っており、経営者仲間から翁炳栄さんを紹介された。すぐに意気投合し、親友となった。

80年代、華人社会で翁炳栄さんほど外国の番組に詳しい人はいなかった。私は番組制作会社を香港と上海につくり、翁炳栄さんを会長に迎えた。企画・制作した番組を中国の公共テレビ局、中央電視台にスポンサーとして提供することにした。こうして始まったのがテレビのバラエティー番組の「正大綜芸」だ。

スタジオに観客を集め、トークショーを交えながら世界の出来事を紹介する内容だ。日本や米国なら当たり前のスタイルだが、当時の中国人には衝撃だった。初放送は90年4月。毎週1回の放送だ。番組のテーマソングは翁炳栄さんが自ら作詞し、ジュディ・オングさんが歌った。

司会者には北京外国語学院英語学科の女性、22歳の楊瀾さんを起用した。毎週、洗練された服を着て登場する彼女の姿に多くの人が魅せられた。熟年アナウンサーがこわばった顔をしてニュースを読み上げるスタイルに慣れた人々にとっては驚きだったろう。

番組には「世界はとっても不思議」というコーナーを設け、興味深い国外の事象を映像とともに流した。そのころ中国は一部の人を除いて外国の情報に触れる機会に乏しかったが、番組を見れば外国に行った気分を味わえた。この番組を見て外国行きや留学を志した中国人は数知れない。

正大綜芸はたいへんな評判となり、毎週5、6億人が視聴するとまでいわれた。ジュディさんが歌ったテーマソングの「愛的奉献」は大ヒット。誰もが口ずさむ曲となった。さらに「正大劇場」の名前で毎週、外国映画の放送も始めた。映画監督になりたかった子供のころの夢を少しばかり実現した気分だった。正大綜芸と正大劇場は中国の人々の目を外に開かせる大きな役割を果たした。

翁炳栄さんはやがて引退したが、それからも正大綜芸は形を変えて続き、最長寿番組になった。おかげで正大という企業を知らなくとも、正大という名称は中国で知らない人はいない。

番組最初の司会者の楊瀾さんはその後、米国に留学することになり、私は費用を支援した。米国出張の折に、留学中の楊瀾さんにワシントンでお会いした。楊瀾さんはキャスターとして名声を博する一方、一時は中国人民政治協商会議の委員(議員)として政治の世界でも活躍した。

(CPグループ会長)

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